涜書:ルーマン『社会の芸術』「6 進化」

通勤読書。

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈2〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈2〉 (叢書・ウニベルシタス)

ひさびさに「進化」の章を確認読みしてみたら、『社会の法』とごっちゃになってるところがけっこうあった。あぶない。

  • [084] 第1章 知覚とコミュニケーション:形式の再生産について
  • [082] 第2章 ファースト・オーダーの観察とセカンド・オーダーの観察
  • [054] 第3章 メディアと形式
  • [086] 第4章 芸術の機能と芸術システムの分出
  • [044] 第5章 自己組織化:コード化とプログラム化
  • [116] 第7章 自己記述
  • [052]第6章 進化
    • [06.5] I 進化論とそのパラドックス
    • [12.0] II 芸術進化のメカニズム−−装飾をめぐって
    • [05.0] III 進化メカニズムの分化
    • [15.0] IV 変異/選択/再安定化
    • [10.0] V 進化の進化
    • [03.0] VI 芸術システムの構造的カップリング

冒頭に付した数字は、邦訳でのおおまかなページ数。「進化」の章は、ほかよりも分量が多いと思っていたが、むしろ少ないほう。最終章だけが やや突出して多い。



II 芸術進化のメカニズム−−装飾をめぐって

節見出しは訳者によるもの。
II節は、べつに「芸術進化のメカニズム」について語られているわけではないと思うなぁ。むしろこの節で主題──「進化」という言葉でどういう現象をさしているのか──を示して、次の節でそれを展開する、ということになっているのではないか。

たとえば「前適応的進歩」は、進化の「メカニズム」ではあるまい。

歴史叙述と進化論は区別されねばならない。進化論の中心的問題は、突発的な不連続を──長期にわたる停滞ないし累積的成長後での突然の構造変動を、つまりは形式の勃興を──説明することにある。[p.361]
 問題をこのように設定してみれば、(最も広い意味での)美化[〜装飾]の実践を[芸術にとっての]前適応的進歩として把握しうることがわかる。美化は〔芸術に先立つ〕事前発展であったが、それは当初〔芸術ではなく〕ほかの機能を担っていたのだ、と。芸術システムが分出していく途上では、この事態に依拠することができる──あたかも芸術が常にすでにそこにあったかのように、である。ひとたび芸術が分出すれば、そこから過去を構成できる。

蓄積されてきた形式を整理しなおして手元にある技能を利用し続けながら、社会的な構造断絶を、さしあたっては それはただ芸術的な革新であり 能力の向上にすぎないかのように体験できるのである。

かくして、いまや芸術はまったく新しい社会状況のもとにおかれているにもかかわらず、表現形式のほうは さほどラディカルでなくてもすむことになる。

たとえば古代への回帰、芸術家の社会的威信の上昇、注文主の指示からの独立、そして個々の芸術作品に対して新奇さと独創性が要求されることなどとして捉えておけばよかったのである。[p.362]

最終段落でこう言われているし:

  • 歴史的に回顧してみれば、このようにして(...)生産された芸術は特に注目すべき価値をもつように見えてくる。おそらくヨーロッパ芸術の発展の頂点のようにすら思われるだろう。
    • 十九世紀後半においては、いたるところで次のような問いが発せられていた。装飾的なスタイルを入念に研究することによって、この世紀にはみごとに欠落していた独自のスタイルというものを更新することに貢献できないだろうか、と42
42 ついでに述べておくならば18世紀には、詩は散文に比べてより古い言語形式であるとの仮定が維持されていた。その根拠は次の点にあったと考えることもできるだろう。すなわち詩においては、作品を纏め上げる装飾法が、散文のばあいよりも容易に認識されうるのである。それはすなわち韻律としてである、と。
  • しかし1900年ごろには、潜在的可能性がさらに一段拡張されることになる。それはすなわち造形芸術において客体とのかかわりが放棄されることによって、音楽における調整の放棄によって、文学において語りの線の連続性を放棄することによって、である。今や装飾性〔に関する理解〕は、実態(はるか以前から装飾が示していた実態)と一致するにいたる。
    • すなわち装飾とは自分自身を演出する形式の生み合わせであり、観察実行の時間性なのである。この時間性のゆえに、観察が成し遂げられたどの瞬間においてもまだ決定を必要とするものが捜し求められるのである。

 しかしながらまだ明らかになっていないことがある。進化がそれを成立せしめるのは、いかにしてなのか。[p.369]

なんだよ「時間性」て。

〈装飾/芸術〉区別への、二種類の対処 [p.365]


ところで『道徳哲学序説 (近代社会思想コレクション03)』(1747年)って翻訳されてたのね。

III 進化メカニズムの分化

  • 〈作動/構造/システム〉〜〈変異/選択/再安定化〉


これおもろいな:

これまでのところ全体社会の下位領域に関する進化論は、自己了解に際して合理性問題に直面している領域で展開されるのが普通だった。

  • 超越論による、また今日では構成主義による革命に直面する科学。
  • 完全競争モデルに定位することの価値についての疑念に向き合う経済。
  • 自然法を放棄し、どんな法が通用するかの選択を別の仕方で(価値への関係付けにおいてだけでなく)説明する必要に迫られた法理論。

そこから、進化論自身も進化の対象であることが明らかになる。進化論が生じてきたのは、進化論以外の仕方では合理性への疑いを除去できないところにおいてだったからである。[p.374]

IV 変異/選択/再安定化

区別されている記述の三つの水準を表にまとめると:

[システム論の語彙][進化論の語彙][芸術という現象を記述するための語彙]
【1】[p.375-379]作動変異コード
【2】[p.379-383] 構造選択スタイル
【3】[p.383-]システム再安定化価値

【1】 [p.375-379]  芸術現象の単位(=作動)について:
この本で、「芸術システムの作動」という言葉で考えられているのは、具体的には「芸術作品の製作-と-鑑賞」のこと。[p.375]

  • 〈美しい/醜い〉コード化 [376]。
    • イマジナリーな空間 [376]。

【2】 [p.379-383]  芸術現象における「構造」について:

  • 「選択観点を反復的に用いうるか〜観点を変異させ・再認しつつ同定することができるか」[379]。
    • 「一連の作動が、プログラムの実現としても観察できるか」[379]。
    • 複数作品の比較[380]。芸術におけるプログラム(=選択基準)の特殊性[380]。
  • スタイル、マニエラ: 進化的な構想選択が生じる形式レヴェル[381]〜ヴィンケルマン。
    • 芸術の多様性の意味[382]

【3】 [p.383-]  芸術現象におけるシステム分化=再安定化について:

  • ルネサンス以前のゼマンティク: 「調和」「均整」「多様性の中での統一性の出現」
    ↑美に対する感覚と宗教とを和解させるために用いられたもの[384]。
  • 16世紀: 「普遍的な(数学的-音楽的-建築的な)世界の調和」という理念の崩壊[385]。
    →芸術固有の基準をめぐる議論へ[385]。
  • 17世紀初頭: ハチスン[385]
  • 18世紀[386]: 「崇高な」「面白い」「奇妙な」「ゴシック」「ピカレスク
  • 18世紀後半[387]: スタイル概念の歴史化。技術をプログラミングするためのプログラム。
    →「古典」の発明。選択と再安定化の分離。
cf.
  • 利潤が経済の基準となる。
  • 愛の基準は情熱である。
  • 政治においては、状況に定位する国家理性が基準として働く。
  • 法の妥当基準は実定的に制定されることである。
特に、「スタイル」について。

「スタイル」は本書のキーワード。これは「変異/選択/再安定化」のうちの、「選択」の水準を指示するもの:

 [作品が製作されたあとで、その作品について、ほかの諸作品と並べて]回顧すれば 常に類型が形成されているのに気づく。この点は芸術システムにおいてはるか以前から、マニエラ・製法・スタイル等の標語のもとで観察されていた。

  • それらが当初意味していたのは区別と分類であり、またスタイルの種類ごとにふさわしいテーマを割り当てることであった。
  • しかしその後それらは変化を認識するためにも用いられるようになり、
  • 最後には、ヴィンケルマン以降、芸術史分析の手段としての意味をもつに至る。

それゆえに、進化的な構造選択が生じる形式レヴェルを、《スタイル》の概念によって指し示すことが出来るのである。ただしもちろん、芸術理論における議論では この概念は明確に規定されていたわけではないという点を顧慮しなければならない。(...) 特に、この概念は歴史的変動にさらされてきたということに留意しておこう。つまり この概念自体もまた進化の結果なのである。[p.381]

そこから、すでに示唆しておいた仮説が導かれてくる。近代芸術への移行とともに、スタイル選択を解禁することに対する代替選択肢が求められ、[そして実際に]見出されたのではないか、と。

V 進化の進化

本書の中核的なテーゼ:

 いうまでもなく進化は前提なしに [‥] 可能になるわけではない。進化は十分に準備された世界を前提とする。[‥] 無数の例を挙げうるだろう。文字の成立のための前提[=漢字にとっての占い]を。あるいはサルディニアの貿易商たちによる鋳造貨幣の成立を考えてみればよい。この種の革新が、社会文化的進化の新しい道筋を切り開くに至ることもあれば、そうでないこともあるだろう。芸術システムの場合、次のように述べるだけの(...)理由があるように思われる。すなわち、

そのような新たな道筋が提示されることによって芸術は宗教・政治・経済から分化して、同時に絶えざる構造変動を伴う進化を開始したのだが、それは世界史上でただ一度だけ、ヨーロッパの近代初期においてだけ生じたのである、と。

 その前提を正確に提示し、歴史的に位置づけることもできる。それは《術artes》と詩学という工芸的および文学的な文化がすでに高度に発達していたという点に存していた。それらが模範となり、模倣と批判的賛美とを可能にしたのである。[p.391]

  • [396-397] グラシアン以降に発展した「趣味」概念について: 継続的な構造変動が始まっていることの兆候

「趣味」についても「偶発性定式」といわれてよさそうなものだが、そういう記述は登場しないね。

 多様化と促進とのこの連関こそが、仮説としての進化論が提起しようとしているものに他ならない。そして目下のところ、この点に関するほかの説明は存在していないのである。[p.399]

VI 芸術システムの構造的カップリング