ルーマンとデリダ(承前)

システムは歴史に対して開かれる

という言い草はないだろうこら。

あんたに言われるまでもなく「オートポイエティック システムは歴史的」((c)マツラナ)なものだっつーの。
オートポイエーシス〉という概念は、すでに・そのままで・直接に、「経路依存性」を含意してるのよ。
ということはまた、この概念をあれこれこねくりまわしても何も生まれない、ということもいみするけど。


「可能性の条件が同時に不可能性の条件にもなっている」とか言われると「だからなに?」と問い返したくなるのは、「Xはありそうにない」とか「そこにはパラドクスがある」とか言われると「だからなに?」と問い返したくなるのに同じ。
どっちもどっち。