柴田(2008)「マネジメント理論におけるオートポイエーシス理論の可能性」

またすご(ry....。

柴田明(2008)
「マネジメント理論におけるオートポイエーシス理論の可能性──ドイツ語圏経営経済学における議論を中心に」
『日本経営学会誌』(21)
http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0008925986&lang=ja
  1. はじめに
  2. オートポイエーシス理論の概要
  3. ドイツ語圏経営経済学におけるオートポイエーシス理論の展開
    3-1. ザンクト・ガレン・アプローチ
    3-2. ミュンヘン・アプローチ
  4. オートポイエーシス理論のマネジメント論への応用可能性
    4-1. 2つのアプローチの基本的想定
    4-2. 集団主義的アプローチの問題点と経営学におけるオートポイエーシス理論の可能性
  5. おわりに
4-2.

[...] これらの批判から明らかなように、ルーマンのシステム理論に依拠すれば 管理不要論が導きだされてしまうのである。オートポイエティックなシステムにおいては、どの介入行為がどの作用を引き起こしたのかについて一義的な解答を示すことは出来ない。また[そこでは][...]、経営者や管理者が外部からシステムの作動を根拠づけることはできないと想定される。そのため、経営者や管理者の存在を理論モデルの中に位置づけることができず、管理不要論的な帰結が導きだされるのである。[...]
[...] [オートポイエーシス理論を経営学にそのまま転用すると、]企業組織に対する一切の働きかけは無意味だということとなってしまい、経営学そのものの存在意義が疑われることとなってしまう[...]。

テクノクラートのイデオローグ」と呼ばれた時代も遠くなったなぁ(遠い目
というか なんと繰り返しの多い論文であろうか。

『日本経営学会誌』って査読誌じゃないのかな?*1
5.

[...] 企業組織をオートポイエティックなシステムと見た場合、自律的な作動が想定され、メンバーのなす術が無いとすれば、そもそも管理やマネジメントは問題とならなくなることから、経営学においては実り豊かな議論を提供できるとは考えられない。このことから本稿では、ミュンヘン・アプローチのように、主体的な個人を出発点としつつ、組織の自生的成長をも考慮に入れたアプローチが有益であると結論づけた。


奥さん!
オートポイエーシス理論は個人の主体性を取り扱えないので、経営学には役に立たないんですって!

「主体も構造も扱える構造化理論でミクロ-マクロ・リンク!」(大意)がいいんですって!

*1:論文末に、レフェリーへの謝辞が書いてありました。ということは....えーっと....まさかとは思いますが、この「レフェリー」とは、あなたの(ry