またすご(ry....。
柴田明(2008) 「マネジメント理論におけるオートポイエーシス理論の可能性──ドイツ語圏経営経済学における議論を中心に」 『日本経営学会誌』(21) http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0008925986&lang=ja |
4-2.
[...] これらの批判から明らかなように、ルーマンのシステム理論に依拠すれば 管理不要論が導きだされてしまうのである。オートポイエティックなシステムにおいては、どの介入行為がどの作用を引き起こしたのかについて一義的な解答を示すことは出来ない。また[そこでは][...]、経営者や管理者が外部からシステムの作動を根拠づけることはできないと想定される。そのため、経営者や管理者の存在を理論モデルの中に位置づけることができず、管理不要論的な帰結が導きだされるのである。[...]
[...] [オートポイエーシス理論を経営学にそのまま転用すると、]企業組織に対する一切の働きかけは無意味だということとなってしまい、経営学そのものの存在意義が疑われることとなってしまう[...]。
「テクノクラートのイデオローグ」と呼ばれた時代も遠くなったなぁ(遠い目
というか なんと繰り返しの多い論文であろうか。
奥さん!
オートポイエーシス理論は個人の主体性を取り扱えないので、経営学には役に立たないんですって!
「主体も構造も扱える構造化理論でミクロ-マクロ・リンク!」(大意)がいいんですって!
*1:論文末に、レフェリーへの謝辞が書いてありました。ということは....えーっと....まさかとは思いますが、この「レフェリー」とは、あなたの(ry