おそろしいことに、今年の三月で、ルーマン・フォーラムはなんと10周年を迎えてしまうのですよ。
てことで、さっきフォーラムに送ったメール。
イベント二つ
ソシオロゴス査読会議(一回目)
- 2007年2月11日(日)14:00〜
- 場 所: (東京都内。詳細はまでお問い合わせください)
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/schedule31.html- 査読者: 佐藤俊樹さん(東京大)・三谷武司さん(東京大院)
- 査読対象:「社会システムの経験的記述とはいかなることか」
- 投稿者: 酒井泰斗(無所属)・小宮友根(都立大院)
会場の定員は15名です。定員オーバーで入れなかったらごめんなさい。(んなこたないと思いますが。)
座席確保などのリクエストには応じかねます。第4回 社会理論研究会(上掲論考のピアレビュー)
さて。
この10年、いろんなみなさんとルーマンを巡ってやりとりしてきましたが、私自身は、あくまでひとさまの論考を批評するのがもっぱらだったわけです。(それはそれで私にとっては当然のことであります。) で、「じゃぁあんたはどう考えてるわけ?」という問いに対しては、そのつどの論点に即した断片的な回答を示すにとどまってきました。(それもそれで私にとっては当然のことであります。)
‥‥という10年のあとで。
そういうやりとりのなかで考えてきたことを、今回はじめてちょっとまとまったかたちにしてみたよ というのが、上で検討していただくことになっている論考でございます。つっても一人じゃ書けなかったので共著になっておるわけですが。
ちなみに、内容は基本的に「分を弁えた」ものにはしたつもりです。つまり、「学説研究」に新しい知見を加えるものには な_っ_て_お_り_ま_せ_ん。(そういうのは「しかるべきかた」にやっていただくべきことでございましょう。)
じゃぁなにをしたかというと、いまのところほとんど議論されていない──のでライヴァルがいない──方面についての検討です。すなわち、というのを準拠問題に据えて、
- 既存の学説研究において「定説」とされているだろうもの のうちでももっともコアな部分*──だと我々が考えたもの──を取り出し、
- その経験的研究に対する/における含意を考察し、
- 上記準拠問題に対するひとつの回答のスケッチ**を提示する
といったようなこと。です。
* ルーマン理論のうち、「対象の自律性とはどんなことか」について論じた部分。
逆にいうと、「諸説ありまくり」の部分には手を出していません。** 「自律した対象を扱う」とはどんなことか。
たとえば【〈情報・伝達・理解〉の綜合としてのコミュニケーション】とかw。簡単にいえば。
この10年私が問題にしてきたのは、基本的にはほとんど、で? その議論は社会学に対してどういう貢献ができるわけ?
ということだったり、でまた──真似ができないものはサイエンスじゃないわけなので──
で? それどうやって真似できるの?
ということだったり、さらにまた──特定・確認ができないものについての議論はサイエンスじゃないわけなので──
で? それどうやって特定・確認できるの?
ということだったり、といったことだったわけです。で、10年目にして、そいつらに関する見解を ちょっとまとめてみたよ、ということです。
そんなわけなので、この10年のあいだに、酒井を相手にディスカッションして、「こいつ何いってっかわかんねー」と思ったことがある(少なからぬ)かたに、こいつを「遅ればせのお返事」として提出させていただきます。
機会があればどうぞご笑覧ください、ということでひとつ。>みなさま
無事に査読を通れば、秋には刊行されるはず。
フォーラムがまたさらに10年生き延びたら、二本目を書くかもしれません。