〈マクロ社会的〉なるものの文法

社会学において スイーツ(笑) に匹敵するものといえば、なにをおいてもまず ミクロマクロリンク(笑) だろう、と思った。


夕食。俺がエスノメソドロジー基本文献を地味に勉強するスレ。

ワレ発見セリ。

  • Jeff Couter, Human practices and the observability of the 'macro-social', in Zeitschrift für Soziologie 25, October 5, 1996:337-45. → in
The Practice Turn in Contemporary Theory

The Practice Turn in Contemporary Theory

これってなんでドイツの雑誌に載ったの? 特集かなんか?>識者

クルター「実践と〈マクロ社会的〉なるものの観察可能性」

(まえふり)

  1. 「マクロ社会的」現象
  2. マクロ現象の「観察可能性」
  3. マクロな社会秩序なるものの「場面的occasional レリバンス」
  4. 「マクロ水準」なるものの「レリバンス」-に対する制約としての「カテゴリーに結びついていること」
  5. 結論的覚え書き


ルーマンやアレグザンダーのようなネオ機能主義者」[p.30] とかいうなヴォケが! いっしょにするとは失礼千万。


■メモ
http://www.sanseido.net/

  • Träger der Staatsgewalt 国家権力を握っている人
  • Träger der Kultur 文化の担い手

ベクター」ですな。

  • 注16) Harvey Sacks (1992: Parts 3 and 5). See also Sacks (1972, 1974, 1979) and Sacks and Schegloff (1979).
  • 注18) 「'categorically bound' to some specific (or restricted set of) membership categories」
     Sacks, H. (1974) 'On the Analyzability of Stories by Children, ' in R. Turner (ed.) Ethnomethodology, Harmondsworth: Penguin. ISBN:0140809627



結論的覚え書き
  • 「マクロ社会的」なものを──方法論的個人主義とか象徴的相互作用論なひとたちみたいに──「物象化の解体」みたいな方向で扱ってみても、それじゃなんかやったことにはならんのよ。我々が──学者であろうが素人であろうが──「マクロ」なカテゴリーを使うときには もっと複雑なことをしているわけでね。その文法とレリヴァンスをみなきゃいかんよ。(大意)
  • この論文ではあくまで図式的な話しかしてないんで。ほんとは経済を例にとって検討したりしたほうがいいんだろうけどね。「経済現象」だって、支払いとか意思決定とかいった いろんな振る舞いから成っているのであって、決して「部分が相互決定しているシステム」なんかじゃないよな。(大意)


なら、「支払いからなるシステム」だったらいいですか?