再訪。
法的実践と理性の社会的条件
juristische Argumentationslehre
実践哲学的法的議論理論は、法的実践に含まれるはずの実践理性の契機が、演繹手続きと帰納手続き以外には合理性を認めない近代哲学的思考によって狭隘化され、あるいは見失われがちであることの、弊をつく。この議論動向は、法的実践が議論の性格を持つことのなかに、賢慮としての実践理性の可能性を再発見し、それを適切に位置づけ直そうとするのである。
- してみればこの議論傾向が一方で、やはり近代哲学の地平において窒息させられつつあった人類の知的遺産を見直そうとする、ヘルメノイティクやトピック・レトリック論と密接な連闘を保っているのも決して偶然とは言えない。
- また、法的議論理論と密接な連関を保っているものとして、ドイツの「批判的社会理論」の論客、J ・ハーパーマスらの「討議倫理」も、重要である。討議倫理も、右記の実践哲学の復権の動向と大幅に重なり合う知的地平の構想されていることを見落とすことはできない。もっとも、討議倫理に関しては、現代哲学における『言語論的展開』の成果を積極的に摂取している点も重視すべきかもしれない。
[p.46]
文献
- Martin Shapiro, Toward a Theory of "Stare Decisis", The Journal of Legal Studies, Vol. 1, No. 1 (Jan., 1972), pp. 125-134
- 田中成明(1987)「哲学と法律学──実践哲学の復権の一側面──」(『哲學研究』vol.47)
- 服部高弘(1991-2)「システム理論と法・法的思考──「法の射程」研究序説──」(『國学院法学』vol.29 1号&4号)http://ci.nii.ac.jp/naid/40001285627
- フバート・ロットロイトナー(1992)「法思想における生物学的メタファー(Biological Metaphors in Legal Thought)」in 『比較法学』25(2) pp.140-102 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000313314/
|
|
Luhmann (1981) Communication about Law in Interaction System in
Advances in Social Theory and Methodology: Towards an Integration of Micro- and Macro-sociologies
|
阿部昌樹「権力と法」 in
|
岡野一郎「『生活世界-システム』連関と近代社会──ハーバーマスによるシステム輸の受容をめぐって──」in
|
|
Luhmann (1981) は「読まねば」と思いつつずっと放ってあるなぁ...。
カウフマンの本は持ってた気がするんだけど.... 見つからない。
『知とモダニティ』は図書館所収。あとで借りる。
ところで、「実践哲学の復権」(で復権してたひとたち)ってどこいっちゃったんですかねぇ。
検索してて、江口厚仁「法・自己言及・オートポイエーシス」が PDF で読めるようになっていることに気がついた。のでメモしておく。