毛利(2004)「生命倫理の法政策論」

55ページあるよ〜(わーい

ちなみに、こっち→は100頁超だよ(わーい) http://ci.nii.ac.jp/naid/110004391639/
  • はじめに――生命倫理と法政策研究
  • 一 システム論のアプローチ
    • (一)社会的事象の見方
    • (二)分析手順
  • 二 生命倫理的問題事象を構成する社会システム
    • (一)医療と親密圏――政策対象領域から
    • (二)政治と法――政策主体側から
  • 三 意識システムと社会システム
    • (一)意識システム
    • (二)社会システム――リズムとリアリティー構成
    • (三)意識システムと社会システムの時間性関連
    • (四)社会システムの多層性と多層的な時間性
  • 四 医療
    • (一)機能システムとしての医療
    • (二)医学の進歩と医療システムの時間性変容
  • 五 親密圏
    • (一)親密圏におけるコミュニケーション
    • (二)身体性の介在と特殊な時間性
  • 六 政治と法
    • (一)生命倫理的問題事象と法―政治
    • (二)中心と周縁
    • (三)実体面と手続き面における含意
  • おわりに――身体性と時間性の法政策学に向けて
  • はじめに → 一 → 二・三(四、五) → 六 → おわりに

です。


著者が、「リファレンス・システムの特定」を重大な・必須の課題として研究を進めていることの意義は、いくら強調してもしすぎることはない。それくらいに重要なことだと思う。
他方、「システム研究には(良くも悪くも)際限がない」(大意:p.7-)という著者の見立ては、論文の基本的構成(〜著者の研究プログラム・研究計画)に影を落としている。そして、このビジョンは、著者の主張する

  • システムの観察の出発点は、再帰的*作動を見出すことである。
    そうすることで、理論の側が対象にあらかじめ特定の内容を読み込んでしまうのを極力避けうる。
    [p.6]

なるポリシーを裏切っているように思われる。

言い換えよう。
研究には、「目下の研究主題に鑑みて、取り上げる事柄を-ピックアップする=制限する」という作業が必要とされる。
ルーマンが学術システムについて謂うところの「制限性」。これは通常、「研究方法論」と呼ばれる問題でありましょう。
さて。著者は「社会システム論」に依拠して研究を進めようとしているのだから、当然のことながら、この水準でも
つまり「ある主題に関して、研究者が取り上げる事柄をどのように制限しうるのか」ということについても、
社会システム論を踏まえた
特に、システムの観察の出発点は、再帰的作動を見出すことであるというポリシーを踏まえた
検討が行われていてよいはずである。
しかし/そして、著者の、「システム研究には際限がない」という表明は、まさにこの作業の不在を意味しているように思われるわけであります。

* 著者のいう「再帰的」は、recursive のこと(したがって、ここでいう「見出せ」と言われているのは「基底的作動」のこと)。ほかの文献では「回帰的」と訳されることが多いですな。


個々のシステムにかんする記述は、著者もみとめるようにラフなものであるけれども、「ラフだから悪い」とか「さらに詳細な記述をすることこそが、研究を先に進めることだ」などとは、一概には言えない。問題はそのようなところにはない。
ラフであれ詳細であれ──というか、そもそも「ある記述が、何かにとってどのような意味で、ラフ(or 詳細)であるといえるのか」ということも含めて──、その意義は、上記のような方法論的観点からしかいえない筈である。

もっとも、システムの再帰的作動を見出せというポリシーからして、それはすぐに「対象の側の事情はどうなっているのか」という問いを呼び出すことになるはずだが。

そしてこのことは、逆に、ある社会現象を取り扱おうとする際に、著者のように、「関係するシステムを網羅的に取り上げ・そのシステム間関係(〜構造的カップリング)の一々を取り上げようとする」ようなスタンスにも疑問を突きつけることになるはずである。

たとえばそこでは、なにゆえ──ほかでもなく──「その」構造的カップリングが扱われるべきなのか、と問うことができてしまうが、
否、そもそも、「そこで取り上げられている「構造的カップリング」なるものが、主題に対してどのように関係していると言えるのか」と問うことができてしまうが、
著者のスタンスからは、その問いに対する回答は、容易には出てこないだろう。


■文献