リーデル『解釈学と実践哲学』

第三部再訪。「ゲゼルシャフト」概念の起源としての自然法論について。

第三部 解釈学と社会哲学

  1. 政治哲学におけるパラダイムの転換か──ホッブズアリストテレス(1981)
  2. 古典古代政治学および近代自然法におけるゲゼルシャフト概念のトピクについて(1965)
  3. 制度の弁証法──ヘーゲル法哲学の歴史的・体系的構造について(1977)

「古典古代政治学および近代自然法におけるゲゼルシャフト概念のトピクについて」

Brunner-Conze-Koselleck のレキシコンに「ゲゼルシャフトゲマインシャフト」項目を準備してたときの草稿からのスピンオフ論文。
〔〇〕
■課題
ゲゼルシャフト〉は、事柄としては確かに新しいが、しかし〈名称〉としてはそうではない。というのも、ゲマインシャフト時代、すなわち、都市的体制(古代、中世盛期、近代初期)あるいは農村的体制(古代末期、中世初期)が優位である中で農業と手工業に基礎をおいた伝統的な農業社会は、数世紀にわたって〈ゲゼルシャフトの理論〉を有していたからである。しかも、この理論の最も重要なメルクマールには、 ゲゼルシャフト〉の理論を社会学の基礎概念と、あるいは社会哲学とか社会倫理学とか社会学それ自体のような名称と対応するものとして、繰り返し捕らえてきたことは、近代的思惟のうちにある歴史主義の先入見のひとつである。以下では、〈ゲゼルシャフト〉の理論の〈史的位相Topoi〉を反省することによって、この理論の基礎にある概念の構造を洞察することが試みられる。というのは、そうした概念が以前に使われた歴史的位相とか、近代的な概念形成からのその距離を見d定めるには、E.R. クルティウス(『ヨーロッパ文学とラテン中世 Europaeische Literatur und lateinisches Mittelalter』1948年)以来ふたたび重視されるにいたった史的位相研究に方法的に従った概念史的研究が、もっとも適していると思われるからである。[p.333-334]
「位相」って訳さなくてもなぁ。(「トポス」だよね?)
一 〔アリストテレス
  • フィリア/コイノニア
二 〔スコラ〕
  • キケロアウグスティヌスにおける「人類のソキエタス societas generis humani」、「ソキエタス/コムニタス」の統一的階層構造論。[p.345-346]
    • 家(domus)→村(domus)→都市()→州(provincia)→王国→(regnum)→帝国(imperium)
  • トマスあたりで、この図式が変容する:ローマ法と聖書的キリスト教インパク
    • societas privata / societas publica
三 〔後期スコラ〜近代:スアレス、グロティウス、プーフェンドルフ / ボダン、ホッブス
注32
四 〔ゲゼルシャフト概念は、学問体系全体の中でどのような位置を占めるのか〕
[...] ゲゼルシャフト概念の道徳的・法的意味の他に、特殊法的な意味 - 法律学用語としてのソキエタスがある。その場合、〈ゲゼルシャフト〉とは、自分たちの経済的あるいはそれ以外の目的を互いに推進するために、二人またはそれ以上の人々が契約(consensus, pactum)に基づいて形成する結合のことであり、そしてそれは、コレギウムcollegium(=ソキエタスのように一定期間ではなく永続的に構成されている結合)やコムニオcommunio(=契約によらない物権共有関係)とは区別される。近代的なゲゼルシャフト概念の展開の一定段階にとって、さしあたってはたんに司法および債権法上のものでしかない結社関係が、啓蒙主義や革命といった社会史的変化を記録できるためのモデルとして役に立ったことは間違いない。このような転用が可能であった条件は、政治学の用語の転換、つまり、旧ヨーロッパ的思考の伝統の構成要素である政治学=ポリス学と家政学とが解体し、他方ではそれと平行して、国民経済学や近代的な歴史哲学や社会哲学が成立したことである。〈ゲゼルシャフト〉がオイコス団体に還元され、市民的ゲゼルシャフトの〈部分〉と理解されていた間は、いずれにしても後世の意味での〈ゲゼルシャフトの科学〉が存在することは出来なかったのである。というのは、国家(civitas)と市民的ゲゼルシャフト(societas civilis)が、〈ゲゼルシャフト〉ないし〈ゲマインシャフト〉の全体を代表していたからであり、また、その理論である政治学=ポリス学が、それについて可能である科学(「実践的」科学)をすでに自分の中に含んでいたからである。[p.359]