いただきもの:『看護研究:特集 現象学的研究における「方法」を問う』

sola研究会@芝浦

看護研究 ISBN:4910024110219

2011年02月号 (通常号) ( Vol.44 No.1)

焦点 現象学的研究における「方法」を問う

近年,看護研究において現象学的アプローチへの関心が高まっています。本焦点では,現象学的研究における「方法」を中心に,さまざまな角度から考えていきます。

  • 現象学的看護研究とその方法 新たな研究の可能性に向けて」榊原 哲也
  • 「開かれた現象学的研究方法」松葉 祥一
  • 「理解について 質的研究の前提として」家高 洋
  • 「患者を1人の人として理解する Eさんの生活経験の現象学的記述より」石田 絵美子
  • 「看護ケアの実践知 「うまくできない」実践の語りが示すもの」西村 ユミ
  • 「「痛み」の理解はいかに実践されるか 急性期看護場面の現象学的記述」西村 ユミ・前田 泰樹
  • 潜在的な視線触発と純粋な超越論的テレパシー 初期西村ユミのポテンシャル」村上 靖彦
特別記事 ソーシャルメディアと研究
【新連載】看護研究の基礎-意義ある研究のためのヒント・1
  • 「看護研究とそうでないもの」坂下 玲子



仮説メモ:

 ある種の哲学者たちは、「ふるまい(をみる)」とか「やりとり(をみる)」とか言えばいいところで、──「身体」なる特別な哲学的語彙に訴えることにより──「身体(をみる)」なる哲学的表現を用いるのではないか。

だとしたら、この話法を支えている論理とはなにか。
・・・常識的に考えて(JK)おそらくそれは、「意識」との対比・関連性でもって物事を捉えてしまうことによるのだろう。
もしこの想像が正しければ。 そのような哲学者たちは、一生懸命に「身体」にこだわって あれこれを論じることによって、自らの 「意識」へのとてつもないこだわりを、一生懸命に示していることになろう。

しかしこれはおかしい。
我々は、生活の中で──他人との さまざまな やりとり の中で、また他人の ふるまい をみるときに──「他者の身体」(なる なにか特別な哲学的対象)を見ているわけではあるまい。

私が見るのが──色彩ではなく──色のついた事物であることや、私が聞くのが──音響ではなく──歌手の歌である のと同じように。


議論を実際に具体的にすることによってではなく、その代わりに、「もっと具体的に!」とかけ声をかけることでもって、議論を具体的なものにしようとする哲学的マジック。