とか言っている場合ではぜんぜんないんですが。
ついぱらぱらと。
- 作者: ミシェルフーコー,Michel Foucault,王寺賢太
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/03/01
- メディア: 単行本
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この訳いいよね。
訳者さんあとがきにて曰く:
フーコーがこの『カントの人間学』のなかでつかんだ問題、フーコーが そののち決して手放そうとはしなかった問題はここにある。18世紀末、「人間学」の領野で起こった有限性についての二つの思考の交錯に。すでにカントが示唆していたように、有限性に真理と自由の結びつきを認め、「世界=世間」でくりひろげられる「散逸」を肯定的な限界の経験として考えるのか。それとも、多くの人間学者とその末裔たちがしてきたように、有限性を特定の本質のなかに囲い込み、「散逸」を否定的なものと見なすのか。フーコーは断固として、カントの歩みが終わったところから、カントに忠実に自分の歩みを進める。日常的な人々のふるまいや語らいに眼を向けよう。というより、自分が身を置いているこの「世界=世間」のなかから、自分自身の苦闘を始めよう。それも、まるで戯れのように、ゲームの規則を踏み越えながら。いや、むしろ、そんなふうに快活に苦闘を続けていくべきだろう。ふりかえってみれば、いつだってゲームはすでに始まっているのだから。(p. 221-222)
そこでエスノメソドロジーですよ。