新板のための序文(1982)
p. 8
批判的社会理論の試みは、なによりもまず方法論と認識論のレベルでその正しさが立証されねばならないというのが、わたしのかねてからの考えだった。『社会科学の言語論的基礎づけ』──当時『社会科学の論理』の序文でわたしはこの論考を約束していた──には、まだこの考えが反映している。だが、コミュニケーション的行為の理論を方法論の視角から導入しようとした試みが袋小路におちいってから、わたしはこの考えにこだわるのをやめた。補遺として再録したノートがことに中途で途切れたままになっているのは、袋小路におちいった証拠である。コミュニケーション的行為と生活世界という相互補完の関係にある基礎概念は、意味理解の問題構成に方法論的な眼を向けることでは導入しえなかったのである。
そうするうちに、わたしはコミュニケーション的行為の理論を世に問うことになったが、これはかたちを変えた方法論の続きではない。[…] 認識論からコミュニケーション理論へ展開したことで、それまではメタ理論の立場からみて問題であることだけはわかっているものの、その前提を明らかにできなかったような問題に、実質的な答えを与えることが可能となったのである。
文献
- ミヒャエル・トイニッセン「批判理論の批判」 in 『社会と歴史―批判理論の批判 (1981年) (フィロソフィア双書〈3〉)』、ISBN:4624020030