『概念分析の社会学2(仮』あとがきドラフト

まだ思いついたことを殴り書きしているステージなので、最終的に跡形もなく消える可能性大ですが。

その後2016年4月に刊行されました。http://socio-logic.jp/ethnomethodology3.php

PART 1/4

 幸いにも前論文集『概念分析の社会学』(以下「前著」と略)が予想外の支持を受け、続編刊行の機会をいただけることになった。とは言っても「無名の執筆陣による-エスノメソドロジー研究の-論文集」という売れる要素がどこにも見当たらないものが普通に売れたというほどの意味ではあるのだが、ともあれまずは前著を購入してくださった皆さんに御礼を申し上げたい。


 前著あとがきに記したように、もともとこの企画はナカニシヤ出版から編者の一人(酒井)にいただいたリクエストに──社会学愛好者の一人として、いまや明るい見通しを持たないように見えるこの学問分野に対して多少なりとも恩返し的なことをしてみようという考えから──出版社の意向を曲げるかたちで応えたものである。前著では、そこでエスノメソドロジーを選んだ理由については述べる余裕がなかったので、その点を最初に記しておこう。
 私のような門外漢にとって 社会学の面白さは、その知見が抽象性と具象性を兼ね備えたかたちで提示されるところにある。どちらかだけであれば、それぞれ他に相応しい学科やジャンルを当たればよいが、両者を自覚的に・同時に追求している分野はそんなにはないだろう。そして、もしも社会学という学問分野が雲散霧消したときにも守られなければならないものがあるとしたら、この〈抽象性と具象性をセットで追求する〉という方針だろうとまずは私は考えた。ところで、社会学の具象性は、それが経験的な学を目指している──したがって何らかの具体的な資料やデータにもとづいて議論が展開する──ところに由来するのだろうし、抽象性の方は、拠り所とする制度的基盤──たとえば政治学にとっての国家、経済学にとっての市場のようなもの──を持たず、また非定型的なもの・ありふれたもの・通常は重要だとは見なされていないものも含めた様々な・あまりにも多様な事柄を扱わなければならないところに由来するのだろう。伝統的には、抽象性の方は主として「理論」という形をとってきた*が、しかしもしも抽象性の由来が上述の所にあるなら、それには別の対応の仕方があってもよいはずである(議論のこうした抽象化のやり方を私は社会学から学んだ)。そして実際にそうした例は存在し、少なくともエスノメソドロジー研究はその一つである**。これが選択理由の片面である。
 他方、エスノメソドロジーの方に目を転じると、そこには別の事情がある。導入期を過ぎてある程度の人材を確保して以降、エスノメソドロジストたちは「様々な事柄を実際に分析できる」ことを売りにしてきたように思われる。この方針は健全かつ重要なものではあるが、しかし私の見るところ営業には向かなかったようだ。結果として得られたのは「確かになにか分析ができているようではあるが、何をしているのかも何の意味があるのかも分からない」というパブリック・イメージであったように思われるからである。だとするとしかし、ここには営業上の実際的な介入の可能性があるかもしれない。これが選択理由の裏面である。

 そしてこの見立てからすると自ずと対処策も決まる。すなわち、エスノメソドロジー研究がもともと備えている抽象性に定位したプレゼンをおこなうこと。前著のタイトルの抽象性には、この方針が反映されている。

* こうした事情を外(ここでは歴史学)から眺めた報告としてバーク『歴史学と社会理論』がある。これは歴史学にとって社会学理論が どのように・どの程度使えるものかを検討したものだが、もっと辛辣な歴史学者は、社会学は実は歴史学の一種なのであり、そうは呼べない残りの部分は政治哲学か文学ジャンルに属するものだと述べる(ヴェーヌ『歴史をどう書くか』、訳書495-498頁。なお私自身の見解も おおむねこれに近い)。両書ともに、皮肉交じりではあっても社会学に対する愛好と敬意が感じられ、かつて社会学にもよい時代があったことをうかがわせるものである。
** 多くの事柄について通用する(という意味で一般的な)概念や命題を《研究者が》獲得することが一般理論の課題であるが、エスノメソドロジー研究もこの課題に取り組んでいないわけではない。「他の状況でも使用できる(という意味で一般的な)能力や道具や装置その他の資源を、或る特定の状況に適ったやり方で使うことによって・その状況に適切に参加し・そこに固有の課題に取り組む」ということが、その状況への《参与者たち自身の》課題であることの方に注目することによって、《研究者にとっての》課題としては引き受けていないだけである。代わりにエスノメソドロジー研究は、様々な状況における「一般的に使えるもの」-と-「その状況固有な使い方」との結びつきを切り離さずに取り出してくることによって実践を記述的に解明する、という課題を引き受ける。