本年一冊目。ルーマン『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』第4章50頁(注15)で参照されているもの。
『信頼』訳書49-51
〔3 信頼の学習とシンボル化〕 信頼のやっかいな本性は、最終的には、信頼が〔信頼の対象となる〕環境へと再投影される際の様式・方法に現れてくる。信頼を寄せられている人々・社会制度は、〔信頼しているということが環境の特質として再投影されるという〕そのことを通して、シンボルの複合体になる。しかも、このシンボル複合体は、攪乱に対して殊に敏感であり、いうなれば、あらゆる出来事を信頼の問題というか点から登録していくのである。このことをとおして、信頼の問題という枠内では、すべての出来事が、それぞれ徴候としての意義をもつようになる。個別的な出来事は、ちょうど抜き取り検査のように、全体にとって決定的な意味を持つようになるのである。たった一つの嘘も、すべての信頼全体を破壊しうるし、たった一つの失策や表現の違いも、そのシンボル的な価値をとおして、しばしば容赦ない鋭さをもって「本当の性格」を暴露する働きをする。信頼のこのような脆さにおいて、一般化のディレンマが反映されている。換言すれば、そこには、単純化された環境の像を築くことが不可避となる場合に生じてくる緊張が反映されているのである。
このことに関しては、アメリカ連邦予算の作成における議会の成員と行政府の成員との関係の叙述が好個の実例となる。国家行政の現実は非常に複雑であって、到底、議員がそれらをすべて見通して評価を下すことはできない。議員は、行政の細部を統括している行政官たちの人格的な誠直性への信頼なしには、作業に取り掛かることもできない。したがって議員たちは、実際には、事実を制御するよりも、彼ら自身が抱く信頼を制御して、ごく些細な不誠実性の徴候に対しても、信頼することをやめたり、あるいは別のサンクションを行使するなどして非常に感情的に反応するのである。
このように、信頼を寄せる者は、自己のリスクを負担する体制を制御できるのでなければならない。信頼を寄せる者は、たとえ自分を安心させるためだけだとしても、自分が決して無条件に信頼しているのではなく、あくまで規定された理性的な信頼の基準に従って、その期待の範囲内で信頼を寄せているのだ、ということを、明確にできなければならない。その者は、信頼することに関して、自分自身に手綱をかけ自分自身を制御しなければならないのである。このことは、信頼を可能にする動機の構造の一部であるが、それが実際になされるのは、信頼に値することを示すシンボルの助けを借りて、事故の対象を理解する、という仕方において、なのである。
予算編成の政治学 (1972年) (現代政治理論叢書〈4〉)
|
|
|
はしがき
xi
この本は二重の目的をもっている。すなわち、予算過程を記述すること、および、それを評価することである。
- 第二章および第三章では、予算を作成する場合におこなわれる計算の種類、および、参加者が彼らの目標を達成するために用いる戦術の型を記述することによって、われわれの理解を増すことをねらいとしている。
- 第四章では、〔予算制度〕改革案が分析され、これらの改革が、予算過程が実際にはどのように動いているのかということに関する知識を欠いているために、盲目的に進められていることを示している。
- 最後の章では、予算過程に関する評価を述べ、それまでに提供された記述的な素材に基づいて示唆された主要な代替方策を述べている。
- そして、これらの事実をよく知らない人々のために、(予算過程の)参加者の公式の権限及び予算循環の時期区分に関する付録を入れた。
第二章「計算」
- 10「≪計算≫という言葉を、筆者は、競合する代替案の選択を決定するにあたって参加者たちが考慮に入れる一連の関連のある諸事実(…)という意味に解する。計算には、
- 問題が如何にして発生するか
- いかにして問題が問題として識別されるか、それが
- いかにして処理の可能な次元におろされるか
- それらがいかに相互に関連し合っているか
- 関連し合っている問題についていかにして決定が下されるのか
- ほかの参加者の行動に対してどのように配慮が払われるのか
といったことについての研究が含まれる。
- そして、複雑性というこれまでにほとんど無視されてきた問題に特別な注意が払われる。というのは、もし予算編成の参加者たちが分有しているものがあるとすれば、彼らが取り組んでいる事業計画や過程の極度な複雑性に対する関心である。
- われわれは、複雑性の問題と、計算補助手段の使用(ある人は濫用というであろう)による問題の≪解決≫について説明することからはじめよう。
- つぎに、我々は、計算に関する諸問題を、それらが、三つの主要な制度上の決定、すなわち、[1] どれだけ要求するかという決定(行政庁)、[2] どれだけ勧告するかという決定(予算局)、[3] どれだけ与えるかという決定(歳出予算委員会)にかかわるものとして取り扱う。
- これらの決定についての論議は、まずはじめに、主な制度上の参加者にとって利用可能な役割と見通しについて述べることからはじめられる。この方法で、われわれは参加者たちの諸目標に到達することができる。そして彼らの計算(後には戦略)が、彼らの引き受ける役割、ほかの参加者たちの役割と能力についての彼らの認識によって いかに左右されるかということを考察する。
2-12「要約」
- 予算編成は、沿革的な基礎から出発して、公正な配分という承認された観念に導かれる漸変的な過程である。
- その過程において、政策決定は断片化され、専門分化した機関によって継起的に行われ、そして、問題に対する反復的攻撃や多様なフィードバック・メカニズムを通じて調整される。
- 参加者の役割、および、お互いの勢力や要求に対する彼らの容認は、一つに調和し合って、計算の基礎となるような合理的で安定性のある一組の基準を与える。
訳者あとがき
282
...予算過程はその過程に参加する各種の政策主体の間の取引やかけひきをともなう政治の過程であると同時に、技術的な祖問題に対する理解が要求される複雑な過程である。この過程における意思決定には、相手の参加者の役割や戦術に対する≪読み≫を含む〈計算〉が必要である。しかし、ほとんどの政策分野において、選択的な行動の結果やその確率を予測する理論もなければ、異なる事業鋭角の功罪を客観的に比較する方法論も確立していない現状においては、限られた予算担当者にとってこの〈計算〉の負担は過重である。そのうえ、予算の決定は時間的制約をともなう。そこで〈計算〉を簡略化する補助手段が用いられる。たとえば
- 予算編成にあたって予算項目の全部を検討せずに、前年度と比較して変化した部分についてだけ検討する方式、さらに、
- 前年度までの実績(base)をもとにして、これに少しづつ上積みをしてゆくやり方(以上は、漸変主義的方式
といって彼の予算理論の機軸をなす)。また、 - 政策決定において概括的な方法
によらず、それぞれ役割の異なった多くの参加者の間の部分的な意思調節を通じて断片的な政策決定をおこなう(fragmented decision-making)。 - 政策(または計画)の内容や価値よりも、金額の多少だけに関心を集中し、これを取引の対象とすることによって、意思の調節を容易にする(non-programmatic decision-making)。
- 問題を一気にかつ根本的に解決するのではなく、紛争があればその都度、部分的・一時的な解決を図り、その歴史的積重ねによって解決してゆく(sequential decision-making)。
- 公益に関する全体的な観点よりも、部分的観点を主張することによってほかの参加者に対して自らの部分的利害の存在をよりよく理解せしめるために種々の戦術を積極的に使用する(strategic decision-making)
などの方式が用いられる。
文献
訳者あとがき
- リンドブロム(1968→2004)『政策形成の過程―民主主義と公共性』
- 小島 昭(1970)「予算における意思決定の理論」行政学会編『現代行政の実践課題』年報行政研究 8.
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b24328.html