借りもの:ジェームズ・スミス(1991→1994)『アメリカのシンクタンク』

http://d.hatena.ne.jp/contractio/20160929 の続き。ランド研の章だけ別途抜書。
5章が「経済学が政治の中枢に食い込んだ事情+ランド研誕生まで」で、6章がついにようやくケネディとジョンソンの時代。

アメリカのシンクタンク―大統領と政策エリートの世界

アメリカのシンクタンク―大統領と政策エリートの世界

  • プロローグ
  • 第1章 政策のエリート
  • 第2章 社会改革の実験室
  • 第3章 効率推進の専門家
  • 第4章 アドバイスの専門家
  • 第5章 テクノクラート
    • 5-1 「ウィン・ザ・ウォー」博士
    • 5-2 経済学者の優勢
    • 5-3 制度化したインサイダー
    • 5-4 契約による助言
    • 5-5 システム思考の出現

第5章 テクノクラート

5-5 システム思考の出現

[172] 最初から、ランド・コーポレーションにいる研究者たちは、自分たちのことを「広義の合理的生活と呼ばれるものに基本的に関心を持ち、それに検診する28」思想家として、いくぶん高尚に考えていた。

28 ランドは1947年9月、ニューヨークで社会科学者の会議を開催した。その議事録は『ランド・リポート』として出版された〔R-106(Santa Monica, Calif.: RAND Corp., June 9, 1948)〕。
 この一節は、会議場でのウォーレン・ウェーバーの開会の辞。これは会議中を通して繰り返し言及された。

[173] E・W・パクソンは1947年にランド・コーポレーションに入った数学者で、戦後の軍事計画立案者が直面している次のような問題を持ち出してきた。目的が潜水艦の破壊であったり 特定標的の攻撃であったりする場合に、任務を完遂するのはどの種類の兵器だろうか。標的を破壊するにはどのくらいの費用がかかるか。どの兵器が最低の費用で任務を遂行できるか29。ランドの部門の枠を越えて、物理学者とエンジニアたちの仕事をまとめようとしていたパク・ソンは、ほどなく同僚から「システム・アナリスト」と呼ばれるようになり、彼の計量的な手法はそれにしたがって「システム分析」と呼ばれた。
 どんな新兵器を作るべきかという設問は、さらに多くの込み入った問題を生み出した。技術的システムの設計については複雑な数学的操作が必要とされ、エンジニア、経済学者、数学者の関心の違いを結びつけるのには、三つのすべての分野に根ざしたシステム分析が役立った。ランド・コーポレーションは広汎な学問分野で教育を受けた研究者を採用していき、研究チームはシステム分析で発展し、結び付けられていった。
[174] いろいろと組み合わされる分析ツールは非常に折衷主義的なものであったから、固定された方法論というよりむしろ、それは心のもちようなのではないかともしばしば思えるほどである。しかし、システム分析の本質は、制作手段の決定──兵器システムと社会政策事業のそれぞれの経費が大きくなるにつれてますます重みを増す──に用いる一連の手続きなのである。方法の選択に関心が集中するため、システム・アナリストの取る方法は結末を考えないことがある。したがってシステム分析は、アドバイス契約に適したツールであるということになる。というのは、この方法はアドバイザーの役割をクライアントの決めた結論へ達するための方法を検討することに限定するからである。

  • 174以下 ノイマン
  • 175以下 アルバート・ウォルステッター:戦時中は戦時生産局にQC専門家として勤務していた。

第6章 行動する知識人