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特集:教養と自己啓発の深い溝
- 積めば積むほど、自らに厳しくなる 知識の豊かさが本質ではない(村上陽一郎)
- 修養ブームが生み出した潮流 近代日本の自分磨き (大澤絢子)
- 青年学級、大学、そして司馬遼太郎ブーム 格差ゆえに教養が求められた時代 (福間良明)
- 技術知・実務知、歴史的人物、自分らしさ...... 「ビジネスマンの教養」の系譜と現在 (牧野智和)
- 「大きな物語」が喪失した時代 新たな知の共同体を作れるか (隠岐さや香)
- 運命から自身を解放するために 独学のススメ (読書猿)
- 学びの場か、信者ビジネスか......注目集める仕組みのいま オンラインサロンに人は何を求めているのか (藤谷千明)
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- 『一般理論』から読み解く現代日本 市場・規制・コロナ禍 (山形浩生)
- 現代マクロ経済学の源流と現在地 その知見がもたらしたもの (矢野浩一)
- 政策とアカデミズムへの影響 ケインズはいかに日本に受容されたか (野原慎司)
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大澤絢子「修養ブームが生み出した潮流 近代日本の自分磨き」
- PHP研究所京都本部内にある神社の名前は「根源の社」
- 39
- ダスキンの創始者 鈴木清一は、西田天香に学んで「道と経済の合一」を願う「祈りの経営」を掲げた
- 職場では毎朝般若心経が唱和される
- 社員研修も一燈園でおこなわれ、近隣の家を尋ねてトイレ掃除を無償で行う
- 39「一燈園はこのように宗教的な実践を行うが、宗教法人ではなく、西田[天香]は僧侶や新宗教の教祖などではない。一燈園で研修を受ける社員にも、信仰の獲得は求められない。」
〈宗教ではない〉キタ―――(゚∀゚)―――― !!
3. 近代日本初の自己啓発書
- 40 修養には二つの側面がある
- ①自己の精神的向上を目指す姿勢
- ②それを通して社会的成功を目指す姿勢
- 近代日本を代表するベストセラー、スマイルズ(中村正直訳)『西国立志編』(自助論)は①の例。
修養は cultivation の訳語
4. 新しい時代の自分探しと修養ブーム
- 40 『西国立志編』の説く修養が社会的成功と立身出世に結び付けられていくのは明示30年代になって以降
それより前の時期、明治20-30年代頃には、高学歴エリート青年たちがキリスト教に強い関心を抱いて聖書を読んだり、座禅に取りんだりなど、宗教に自己変革の手がかりを求めていた時代だった
- 明治20年代はまた、「修養」が、近代社会に相応しい人間になるための自己教育や訓練としても用いられ、次第に、形式的な修身教育に代わって、主体的に精神や人格の向上をはかる理念となっていった時期でもあった。
- 41「日露戦争後、明治38年頃から40年代にかけて、修養を説く書が雨後の筍のごとく現れた。修養ブームの到来である。」
5. 成功ブームと金銭的成功
- というわけで、大正期になると『西国立志編』の読まれ方も変わり、新時代の成功書として読まれるようになりました。
- 成功雑誌社『成功』(村上俊蔵)
- 『成功』は、『実業之日本』と並んで立身出世を目指す青年たちの愛読書になりました。
- 夏目漱石『門』の宗介が歯科医院の待合室で手にとったのもこの雑誌です。
- 村上俊蔵の雑誌『成功』は、オリソン・スウェット・マーデンが創刊した自己啓発雑誌『SUCCESS』をモデルにしていた。明治から大正期の日本で、マーデンの人気は絶大だった。
- 43「明治日本で最も広く読まれた西洋書は、彼[マーデン]の邦訳書だともされ*、…彼の著作が立て続けに翻訳された。マーデンの本の出版を数多く手掛けたのは、村上の成功雑誌社と実業之日本社だ。」
- 44「同じくニューソート系のラルフ・ウォルドー・トラインの翻訳書も明治末から昭和初期にかけて多数刊行されており、戦後の自己啓発に連なる成功とポジティブ志向は、戦前の日本で既に大きな盛り上がりを見せていたのである。マーデンやトラインが説いた成功とポジティブ志向は中村や生長の家の谷口雅春に大きな影響を与えており、現代の自己啓発の源流もそこに見いだせる。」
7. 『実業之日本』と新渡戸稲造
- 44 新渡戸稲造は明治42年から3年間、『実業之日本』の編集顧問を務め、その後も同誌に多くの文章を寄稿しました。
『修養』(1911)と『世渡りの道』(1912)は、どちらも『実業之日本』の連載をまとめたものです
- 44「英才を育成する第一高等学校(一高)の校長、東京帝国大学の教員というエリート知識人・新渡戸の修養論は、大衆文化の中で発信されたものなので。位置項の門下生や同僚たち(エリート)は、彼が大衆雑誌に関わることを痛烈に批判したし、心配もした。それでも彼は、働く青年たち(ノンエリート)に向けて、実践的な処世訓や世渡りの術を説き続けた。十分に教育を受けられなかった青年たちの修養が、なりふり構わぬ金儲けや立身出世に向かうことへの危機感が、彼にはあった。」
大正教養主義へ。
8. 修養のゆくえ
藤谷千明「学びの場か、信者ビジネスか......注目集める仕組みのいま オンラインサロンに人は何を求めているのか」
- 1. 年の動きと流行
- 2. 学びの場? それとも?
- 3. 利用者側の視点
- 4 . 五つの分類から見えるもの:①ファンクラブ型、②新しい働き方型、③情報型、④コミュニティ型、⑤物語型
- 5. 運営者側の視点
- 6. 曲がり角に立つオンラインサロン
福間良明「青年学級、大学、そして司馬遼太郎ブーム 格差ゆえに教養が求められた時代」
1. 「教養」を求めた勤労青年
3. 進学をめぐる鬱屈
- 昭和初期:旧制中学・高等女学校への進学率は1割
1950年代なかば:高校進学率は5割
- 「なぜ自分は高校に進学できないのか」
→「受験や就職のための、目先の実利のための勉学ではなく、真実の教養・ほんとうの生き方を模索したい。」
- 【表現】背伸びの文化
4. 「教養への憧慢」の衰退
- 高校進学率
1965年 7割
1970年 8割
1974年 9割
→高校進学は、家計ではなく学業成績の問題に変わった。
→「学歴に恵まれないにもかかわらず、教養を模索する」話法の消滅
- 大学進学率
終戦前後 23%
1970年 23.6%
1975年 4割弱 →マスプロ授業の一般化→大学への失望→大学紛争
5. 「昭和五十年代」の歴史ブーム
- 昭和50年代。教養主義の衰退の傍ら、大衆歴史ブームがやってきた。
- 51 司馬遼太郎の小説は、「サラリーマン層をはじめとるす多くの読者を獲得した。それは目先の仕事の成果には直結しないが、そこでの歴史像・人物像を通して、組織のあり方や自己の振る舞いを考えさせるものであった。」
6. 「かつての若者」の中年文化
- 51 「だが、勤労青年のようなノンエリート層はもとより、大学においても教養祝儀が衰退したなか、なぜ、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」が見られたのか。そこには、主要読者が中年層であったことが関わっていた。『プレジデント』の読者層はあきらかに企業や工場の管理職層であったし、『歴史読本』など大衆歴史雑誌の読者も中高年層が中心だった。司馬遼太郎の歴史小説には若い読者も少なくはなかったが、サラリーマン層の支持は根強かった。そうした中年層は、かつて若い頃に最高潮期の(大衆)教養主義をくぐった世代でもあった。たしかに日常の仕事・生活に追われるなかで、一時的に「教養」から遠ざかることはあったかもしれないが、それでも教養主義的な関心が彼らのなかで消え失せたわけではなかった。生活がある程度安定し、再び「教養」に向き合おうとした先に見いだされたのが、「歴史」であった。」
- 51 「それにしても、なぜ「歴史」だったのか。そこには「参入障壁」の低さがあった。」
歴史でワンチャン
- 52 まとめ 「「昭和50年代」の中年文化は、「昭和20・30年代」の若者の大衆教養主義の名残でもあった。」
7. 人格からスキル、資格の重視へ
- 52 ここ面白いね。
「さらに、バブル経済期を経て2000年代に入ると、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」という価値観は後景化した。『プレジデント』の変化はそれを物語っている。」…
「終身雇用と年功序列が前提にされていた昭和後半期(とくに1960年代以降)では、一定の年齢に達したら「リーダー」…になることが見込まれただけに、それにふさわしい「人格」を身につける必要性は企業人たちの間で共有されていた。しかし、…雇用の不安定さだけではなく、大企業でさえ深刻な経営危機にさらされることが明らかになると、条件のよい企業への転職や起業に人びとの関心が向かうのは当然である。そこでは、長期的に会社にとどまることを前提にした「組織人としての振る舞い(人格)」よりも、転職可能性に直結する「スキル」「資格」が重視されやすい。」
ごもっともです。
8. 「格差と教養」という問い
- 53 「今日の日本の大学進学率は約50パーセントだが、大学に進まない残る50%の教育・教養の問題は、ともすれば見過ごされている。」
牧野智和「「技術知・実務知、歴史的人物、自分らしさ...... 「ビジネスマンの教養」の系譜と現在」」
1. 「中央公論経営問題』の変遷──知の振れ幅の縮小
- 雑誌『中央公論 経営問題』は、1962年2月に刊行された『中央公論』の臨時増刊号『中央公論 経営問題特集号』が好評を得たため、それを受けて同年10月に季刊誌として刊行されることになったもの。
隠岐さや香「「大きな物語」が喪失した時代 新たな知の共同体を作れるか」
1. 学生に足りない「社会的な視野」
2. 教養が死んだ後の世代
3. 教養は大学内部でも共有できない
4. 専門分野の情報爆発
5. 教養は役に立つのか
6. 議論や交流から始める教養のあり方
読書猿「運命から自身を解放するために 独学のススメ」
1. 「自分の評価を健全に下げる」
2. 人はなぜ学ぶ
- 独学者とは:機会も条件も与えられないうちに、自ら学びの中に飛び込む人
- 70 「「人はなぜ学ぶのか」という問いに、私は「自由になるため」だと答えています。」
これは賛成。
- 70 「知らず知らず教え込まれて身につけてしまった知識や技術が本当に正しいのか、今自分がなんだかよくわからないままに苦しいのは、これまで身につけた知識やものの見方のせいではないか。自らの知識を疑い、その呪縛から逃れるために、人は自覚的に学ぶ必要があるのだと思います。」
わたくしが『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』で「思想の管理」と呼んだものですね。
3. モチベーションを支える集団
- 71 「人間には体温を維持する機能はあっても、意思を維持する機能はない。だからこそ、モチベーションをマネジメントする様々な技術が必要になります。」
これ面白いな。
私が「思想」をマネジメントの対象だと考えているのに対して読書猿さんは「モチベーション」にこの言葉を使う。他方、私の方は「哲学の講義」では、モチベーションの話は決してしないことに決めています。人類には、何かをするのにモチベーションが必要であるような魂のステージから早く卒業していただきたいですね。
ところで、行動科学が前提しているのは まったくもって「弱い人間」なのに、それをポップ心理学として取り込んだ自己啓発が「強すぎる人間」を前提かつ目標として置いてしまうのには捩れがあるね。これはどういう理屈なのかな。
4. 源流となった修養
5. 生まれ育ちから自身を解放する
- 74 「私は、教養を「運命として与えられた生まれ育ちから自身を解放する力」だと捉えています。」
これも、主張内容には基本的に賛成なんだけど、これ、直前に書いてあることとの関係が微妙ですね。①教養(パイデイアとしての)と②教養2(近代ドイツの)を区別したうえで、①を取って②を捨てているのでしょうが。しかし、日本語圏では、ドイツ語からの輸入語としてながいこと「教養」概念を使ってきてしまった以上、そこを拾ったり捨てたりするのは無理じゃないかなぁ。
- 73 「「役に立たない」ことを誇る教養主義が無視し捨て去るものとは、古代ギリシア以来、教養の概念を養い培ってきた人文知の伝統が、実践知に由来するものであるということです。」
由来を辿ればそうなのかもしれないけど、日本において人文知が実践知と結びつけて導入し・理解し・使うという伝統を我々日本語圏の人間は持っていないので、これも無理筋ではないだろうか。
なんでこんなに「人文知」に肩入れできるのか分からないなぁ。それって「現実には存在しないもの」へのコミットメントになってないですか?
「古い言葉を、その意味を変えながら使い続ける」という仕草自体が旧いヨーロッパの人文学的なものであるような気もするけど、私は、別のものを模索し・指示したいなら、そういうやり方自体をやめて、それに相応しい別の言葉を使って欲しいと思います。
7. 学ぶことは危険に身を晒すこと
「教養というのは役に立たないものだし、まさにそのようなものとして(日本では)求められてきた」という方が歴史的実情には近いし、まずは「どうしてそうだったのか」の話からしないと議論は難しい気がしますね。