壱岐晃才(1981)『証言 戦後日本の経営革新:高度成長を支えた人々』

総特集:占部都美
via 猪狩誠也(2018)「日本の経営ジャーナリズム:現代の企業社会に何を残したか」 https://contractio.hateblo.jp/entry/20220830/p3

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はじめに

  • [003] 「日本の経済および企業経営が、国際的に見てきわめて強い競争力を持っていることが評価され始めてから、もう数年以上になる。いまでは、かつて、わが国にマネジメントのイロハを教えてくれた国から、大挙して視察団がやってくるという時代になった。」

これが1981年。泣けますね。

1 経営革新 “前史”

  • [013]
    ・CCS(連合軍総司令部民間通信局)
    ・CCS経営講座
  • [014]
    ・戦時中にも既にテーラー・システムの輸入は始まっていた。
    ・戦前の教科書:上野陽一『能率ハンドブック』
    ・しかしそれは部分最適化に終始しており、工場全体のフロー(工程管理)の考え方が欠けていた。

戦時中すでに「部分最適化ではダメだ」という認識があったことが重要だ、と。

  • 既定時間法
    ・MTM(Methods-time Measurement)
    ・WF(Wok-Factor)
  • 1942年3月30日 社団法人日本能率協会設立
    ・能率協会が最初に行ったのは、敵国アメリカの生んだテーラーリズムに関する三カ月に及ぶ講座であった
  • [] 野田信夫(三菱合資会社資料課嘱託)について。
    昭和初期には、ドイツとアメリカの文献の輸入が盛んに行われていたが、すでにアメリカ風の方が人気が高かった。
    ・上野陽一訳『テーラー全集』刊行が昭和7年
    ・臨時産業合理局『作業工程管理の改善』刊行が昭和9年
    ・上野陽一『能率ハンドブック』の刊行は昭和14〜16年
  • [021] 早川正寿翁曰く 「[経営管理技術の]前史は99%まで技術者集団が受け持っていたといってよい。とくに現場の作業改善などはそうだった。人文・社会科学者の欠除ということに、何か意味があるように思われるのだ。このプラスとマイナスを明らかにして行く必要があるのではないだろうか。」

安心してください。その後、わたくしたちの日本の事情は何も変わっておりません。

2 “光” はアメリカから

  • ヒーフ(FEAF: Far East Air Force 極東空軍)
  • ・昭和24-26年 アメリカ占領軍の主導によるアメリカ式経営管理技法の流入
    ・昭和26年6月 朝鮮戦争開始
  • ・昭和22年1月31日 GHQ、「二・一ゼネスト中止命令」
    ・昭和22年10月 国家公務員法公布
    ・昭和23年 公務員に対する職階制給与制度の実施
  • 昭和26年のGHQマックヴォイ労働課長の発言
    GHQは日本の企業に対し、まず職階性を紹介し、それから六カ月たって人事考課を紹介し、次に一年ほど経ってTWIを紹介した。これによって、日本の企業の民主化、合理化は順調に進められるだろう。」

文献