長谷川 廣(1960)『日本のヒューマン・リレーションズ』

なぜ〈人間〉は産業社会学の問題となるのか問題の続き https://contractio.hateblo.jp/entry/20220620/p0

via 中川宗人(2022)「経営モデルの企業組織への導入」 in 『21世紀の産業・労働社会学
via 山崎敏夫(2017)『企業経営の日独比較』4-2「日本におけるヒューマン・リレーションズの導入」 p. 180, 注23.

制度として経営における意思疎通に関する各種の施策が最初に採用されたのは1951年,52年頃のことであり(21),東京大学の尾高邦雄教授による従業員態度調査が初めて日本鋼管川崎製鉄所において実施されたのもこの時期のことであった(22)。こうして始まったHRへの取り組みは,生産性向上運動が開始される1955年頃から紹介・導入の段階を過ぎ,普及の段階に入り,この時期にひとつの転機を迎えた(23)

https://contractio.hateblo.jp/entry/20220507/p20


IIIまで読んだ。
HR導入に批判的な立場から、HRを 日本独占資本のニーズに応えることが期待されている新たなる労務管理技術として捉えたもの。IIIに 1955年前後の導入状況のやや詳しいまとめがある。
Iはホーソン実験とヤンキー・シティ調査から説き起こしており、参照文献は薄いが平明な語り口でわかりやすい。


  • I ヒューマン・リレーションズとは何か
  • II 経営管理におけるヒューマン・リレーションズの地位
  • III わが国におけるヒューマン・リレーションズの導入と普及
  • IV ヒューマン・リレーションズの具体的方法とその効果
  • V 中小企業のヒューマン・リレーションズ
  • VI ヒューマン・リレーションズと労働者階級
  • おわりに

  • [008] 「人間性の尊重」
  • [012] 「人間工学」
  • formal / informal に、成文/自生的なる味わい深い訳があてられている。
  • [024] 「したがって、労働者との協同を確保し、モラールを改善するためには、たんに企業内における労働者の感情を重んじ、意思の疎通をはかるというだけでなく、もっとひろく、経営街の労働者家族、さらには地域の住民までも思想的に資本の側に抱きこむ必要が痛感されてきたのである。」
  • [025] 「ことばをかえていえば、労働者の自主性を、労働者自身のものとしてではなく、資本自らの自主性として発揮するようなかたちでの「人間性の復活」が、この段階の独占資本にとって必要なのである。」
  • [042] 「新資本主義」、「人民資本主義」

II 経営管理におけるヒューマン・リレーションズの地位

1 企業の「体質改善」と経営の「近代化」
  • 企業の体質改善とは: ①資本構成の改善・充実、②機械設備の近代化・合理化
2 経営管理の「近代化」とその矛盾
  • 経営管理の近代化とは: ①事業部制、②長期経営計画、③労使関係の近代化
  • [051] 「それでは労使関係の近代化とは何か? その特徴は、一言でいえばヒューマン・リレーションズを重視することだと言われている。」
  • [052] ヒューマン・リレーションズの狙いは、「現段階においては、高揚する労働組合運動に対して独占資本が労働者の「人間性」を「尊重」し、労働組合を認めるという一歩譲歩を示すことによって労働組合をまるごと生産性向上運動に巻き込み、資本の強蓄積に協力させる方式をも含んでいることが注意されなければならない。」

III「わが国におけるヒューマン・リレーションズの導入と普及」

  • [061] HRの代表的な輸入者は馬場敬治と尾高邦雄だよ。
  • [061] 「人間性尊重」

「人間(性の)尊重」は、本書刊行時(1960年)にはすでに流行語として扱われている。

佐藤栄作は首相就任時(1964年)に、政治姿勢としては「寛容と調和」を、政策的には「人間尊重と社会開発」を基本的目標に掲げた:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%9C
  • [062] 要約:人間関係論導入反対論の中には、低賃金化政策の打破の方が先だという論調もあるが、これは、そもそも人間関係論が低賃金でも自主的に働く労働者を作り出すために要求されたものであることを見ていない。
  • [063] 「わが国の大企業でヒューマン・リレーションズの導入が現実的な問題となったのは、朝鮮戦争を契機としてであり、それはいわゆる独占資本の復活・強化とその期(ママ)を一にしていると考えられる。」
  • [063] 資料:
    ◆日経連『労務資料』33
    ◆野田信夫・森五郎『労務管理近代化の実例』
    ◆日経連『労務資料』49
    著者の見立てによれば、昭和31年(1956年)夏までは「相当の関心を集めていはいるが、まだその具体化が一般的となっていない」状態だった、と。
  • [066] 「ところが、同じ31年の秋ごろから、事態は急激な進展を見せている。すなわち、同年の10月11日に開かれた日経連の臨時集会で、当時中労委会長であった中山伊知郎氏は、ヒューマン・リレーションズの必要性を強調して、次のように述べた。
    「日本としてもこのさい、〈人間関係〉を労使関係に取り入れなければ世界の技術革新に遅れる。これまでは団体交渉や国家の行政的介入や、企業内部での生産性の向上などを別々のものとして考えていたが、この機会に労使関係の根本としての〈人間関係〉を中心として、これらの問題を一元的な体系の中に考え直すべきである。」
     またその10日後に、経団連も、資本主義の「新しい段階」に直面して「経済新体制」とか「新資本主義」という経営者イデオロギーをうちだすなかで、「企業は社会的公器である」という「新経営思想の確立」をめざしながら、つぎのような点を明らかにした。
    「とかく対立しがちな社内の労使関係でも、労使はそれぞれ職能の差はあっても、同じ目標を目指す企業構成体であるという点で一致していることを考え、企業を中心に労使一体の感じを盛り上げ、協調することが必要である。そのばあい、労働意欲の向上策としては賃上げなどの報償制や、首切りなどの罰則制の行き詰まりに変わるものとして、世界各国で問題になっているヒューマン・リレーションズ(人間性の尊重)の強化も今後考えなければならない問題である。」

ついにヒューマン・リレーションズが「人間性の尊重」になりました。

  • [067] ここ重要。 「その後ヒューマン・リレーションズはだれにも耳慣れた言葉となった。」
    これ以後、労組側の文書にも、ヒューマン・リレーションズのことが盛り込まれるようになった、と。
    • 以下数ページで組合側の資料も提示している。周到。
  • [070] 以下数ページにわたって普及状況のデータ。昭和31年11月、昭和33年10月。
2 ヒューマン・リレーションズが導入され、普及したのはなぜか
  • まとめ
    ①ヒューマン・リレーションズは、生産性向上運動の一環として、アメリカの指導のもとに導入されたものである。
    ②ヒューマン・リレーションズは、日本独占資本自体の切実な要求にもとづいて導入されたものである。
    ③ヒューマン・リレーションズは、技術革新・オートメーション化が進むと一層切実に要求されることになる。[以下略]
  • [080] 80 「いすゞ自動車の社長三宮吾郎氏は、日経連の機関誌『経営者』(31年2月号)のなかで次のように書いている。
    「米国の大企業では、ヒューマン・リレーションズの探求を熱心に進めて来ておりますが、米国のそれにおいては、高度の機械化、科学的管理法式の極致から再び〈人間〉というものに着目せざるを得なくなったという過程であるのに反し、日本のそれは大分事情が異なるように思われます。特に最近各方面でヒューマン・リレーションズに関心を持つようになった直接の動機は労働攻勢の激しさ、労使間の紛争の公式化といったものを、正常に引き戻す何らかの方法を求めようとしていることです。」」