濱島 朗(1952)「アメリカ労働社会学の成立と発展」

via 稲上毅・川喜多喬編(1987)『リーディングス日本の社会学9 産業・労働』 https://contractio.hateblo.jp/entry/20220620/p1


  • はしがき(尾高邦雄)
  • 労働社会学の構想と課題(松島静雄)
  • アメリカ労働社会学の成立と発展(濱島 朗)
  • ドイツ労働社会学の基本的性格(濱島 朗)
  • 労働者意識の実態(調査報告)

濱島 朗「アメリカ労働社会学の成立と発展」

  • 序説
  • 一、アメリカ労働社会学の成立
    • (一)その社会的背景
    • (二)ホーソン工場における社会的実験
    • (三)政府・実業および大学における関心の増大
  • 二、アメリカ労働社会学の発展
    • (一)概観
    • (二)メイヨーの中心思想
    • (三)人間関係的方針の完成
    • (四)現代産業社会構造への文化人類学的接近
    • 〔余論〕小労働集団の社会心理学的研究
    • (五)産業社会学批判の現状
      • 方法論的諸問題に関する疑義
      • 労使関係的方針からの批判
      • 経営者側的立場性への非難
      • 理論的整備への反省

濱島 朗「ドイツ労働社会学の基本的性格──その史的過程からの究明」

  • はしがき
  • 一、ドイツ労働社会学の概観
  • 二、第一期の特徴
    • (一)労働者の生活および意識の究明
    • (二)社会政策学会による労働者調査およびその展開
  • 三、第二期の特徴
  • 四、第三期の特徴
  • 附記・戦後におけるドイツ労働社会学の動向
  • あとがき

アメリカ労働社会学の成立と発展

一、アメリカ労働社会学の成立
序説
  • 労働社会学には、労働の研究と労働者の研究がある。
    • 労働の社会学的研究
      • ①社会分業論:職業は人と社会の通路になっており、人は職業を通じて他の人と連帯する。
      • ②職業意識研究:ある職業に就くことは、その人の生活態度・生活様式にどのような影響を与えるか
    • 労働者・労働集団の社会学的研究
      • ①労働における集団生活を生産性の観点から捉え、職場集団における人間関係と生産意欲の関係を調べる
      • ②階層的に規定された労働集団(〜労働組合)に関心を持つ

アメリカにおける労働社会学の中心は産業社会学にある」というのが濱島の見立て。濱島は、すでに存在していた労働社会学に対して新興の「アメリカの産業社会学」を位置付けているのだから当然こうなるのだが、これはのちに尾高が設定した包含関係(労働社会学⊂産業社会学)とは逆になっている。
では尾形はどんなロジックで、この包含関係を逆転させたのだろうか。

尾形は、少なくとも、「労働より産業の方が大きい」という常識的な直観は使っているだろう。その意味でこれは、社会学領域で今もなお飽きることなく繰り広げられ続けている
  常識的主張 対 常識的主張
の闘いの例となっているように思われる。

1-1「その社会的背景」
  • 75からヤンキーシティ調査。

ホーソン実験よりヤンキーシティ調査の方が先に来てるのおもしろいね。

1-2「ホーソーン工場における「社会的実験」」
  • 78に「人間の自己疎外」。ここに「すなわち、労働者の主体的人格したがって積極的労働意欲の喪失、その機械化」と注釈が付いている。
  • 【表 現】 「人間的満足を第一原理とする人事管理」
  • 【テーゼ】 産業社会学(産業における人間関係の科学)と「人間的満足を第一原理とする人事管理」は同時に成立した

[096] インフォーマルな労働集団やその有する集団的統制力の確認は、ホーソン・リサーチのもっとも注目スべき成果であった。新しい労働生産性増強作としてのいわゆる「人間的満足を第一原理とする人事管理」は、ここにその理論的基礎づけと実証的裏付けを与えられるのである。そうして、産業社会学は後にみるように、このような経営政策的実践目的に奉仕する社会工学として成立し、発達したということができる。

1-3「政府・実業および大学における関心の増大」

[098] 1929年の恐慌につづく不況を打開するためにとられたニュー・ディール政策は、私経済の自動的調整力に対する信頼感を失った経営者に代わって、国家による広範な産業等生徒強力な社会政策的施策の推進を可能にし、組合勢力の増大と労働者階級の実業家階級に対する相対的地位の恒常をもたらし、労使関係に著しい変化をひきおこしたのであるが、かような一連の施策に対する不満や反感は当時実業界において無視しえない底流を形づくっていた。とくに第二次世界大戦によって驚くべき潜在力を発揮した実業界は十数年ぶりに自信を回復し、それにともなって反ニュー・ディール運動を積極的に展開し、1943年頃までには主要な政府機関を活動不能の状態に陥れるのに成功したのである。
 時あたかも平和産業から軍需産業への編成替えが刻下の急務とされ、労働力の不足とかそれを補充するための不熟練労働者の増大、めまぐるしい配置転換、あるいは軍需産業の飛躍的拡大にともなう労働組合の組織率の発展等々の信じたいの発生は、経営者に対すると劣らず政府に対しても、労働の生産性を増強する一連の施策の必要を痛感せしめるにいたった。30年代の半ば頃から漸く一般に知れ渡るようになったホーソーン・リサーチの成果(特にその管理技術の体系)が改めて注目の的とされはじめたのは、まさしくかような状況の下においてであった。そしてこの場合、ホーソーン・リサーチは二重の意味と役割とをもって登場した。すなわち、一つには戦力の増強という国家的目的のために、二つには人間関係の改善・調整によって経営能率を増進し、あわよくば政府による産業統制や労働関係の調整から経営の自由性を解き放そうとする個別資本の目的のために。

  • [099] 「いわゆるT・W・I(Training Within Industry)運動の進展(1941年以後)も、これら[研究者]の人々の協力なしには不可能であっただろう。この運動は、…、最大限の協力を確保できるように監督者の統率能力や人物処理の訓練・改善する目的をもって発足し、政府の強力な支援の下に各主要都市に訓練期間を設け、そこで各工場から派遣された部課長級から職長級までの人々に労働管理上の指導を行い、二年間に約50万人を訓練したといわれている。これほど大規模な訓練計画はこれまで全く前例を見ないものであった。
     かように、T・W・Iプログラムは産業社会学のその後における成長に好都合な一般的な風潮をかもしだしたばかりでなく、幾多有能な学者たちを政府機関や実業界に投入し、その実践的問題の回稀有に科学的な基礎づけを提供する機会を与えることによって、斯学の興隆に資するところけだし甚大なものがあった。戦後のアメリカにおける産業社会学のめざましい進展は、こうした学問活動と実際生活の関心の一地によって可能とされたのである。

 TWI研修は、TWIとはTraining(訓練)within industry(企業内の)for supervisors(監督者のための)の頭文字をとったものである。
 日本では、第二次世界大戦後,占領軍によりもたらされ、労働省(現在の厚生労働省)によって敷衍された。2010年(平成22年)現在、日本産業訓練協会(日産訓)や都道府県職業能力開発協会などを中心に、広く行なわれている。
 最近まで、決められたシーケンスに従って行うような仕事、例えば工場の従業員や、店舗の売り場にいる店員などが対象であり,営業マンなどのホワイトカラーの仕事や,医療の現場などの専門職の仕事には講習の内容が必ずしもそぐわないと考えられてきた.しかしながら,…

https://ja.wikipedia.org/wiki/TWI%E7%A0%94%E4%BF%AE

これに関連して、第二次大戦前・最中に各地の大学に多数の「人間関係」に関する研究所ができ、政府管轄下の工場で応用実験が行われた。

  • [101] 合衆国でも、産業社会学は、1945年までは独立部門として認められていなかったが、1946年からは認められるようになった。
    • 部門ごとの研究者数に関する調査(注9)
      ・1945年までは部門として数えられていなかった
      ・1946年 14部門中12位
      ・1947年 18部門中11位
      ・1949年 22部門中05位
    • 注9 "1949 Census of Current Research Projects", American Sociological Review, Vol. 14, No. 4, Aug. 1949, pp. 507 ff.
二 アメリカ労働社会学の発展
2-1「概観」

メイヨーならびにハーバード・グループの「人間関係的方針」について紹介検討します。

  • [103] シカゴの「産業人間関係研究委員会」(1943年設立)
  • [104] 「人間関係的方針」の批判者たち
    • ブルーマー
    • ホーマンズ
    • モーア
    • ダンロップ、デュビン
    • シェッパード、ベンディクス
(二) メイヨーの中心思想

[110] さて、メイヨーの全思想を通観してみると、その根底には多分に中世的・浪漫主義的な社会観が横たわっているのを認める。産業以前の安定社会に見られるような自発的人間協力、つまり慣習や伝統の権威の下で社会における一定の地位と役割を与えられ、相互に有機的な権利義務の関係に立つ人々が、自己の社会的機能(職分)を全うすることによっておのずから社会全体の共同目的を実現していくような協力関係─軽sねこれがかれの理想として描く社会像であった。

(三)「人間関係的方針の完成」
  • [120] ハーバード・グループとシカゴの「産業人間関係委員会」を、レスリスバーガーを中心に紹介する
    • 1936年 ホワイトヘッド自由社会における指導』
    • 1938年 ホワイトヘッド『産業労働者』
    • 1939年 レスリスバーガー『経営と労働者』(要約 1941年『経営と志気』)
    • 1945年 ガードナー『産業における人間関係』
    • 1948年 ホワイト『レストラン産業における人間関係』
(四)現代産業社会構造への文化人類学的接近
  • [133] シカゴ文化人類学・地域研究の素地
    • 1929年 リンド夫妻『ミドゥル・タウン』
    • 1937年 リンド夫妻『過渡期のミドゥル・タウン』
    • 1937年 ドラード『南部の一都市におけるカスト制度と階級制度の研究』
    • 1941年 デイヴィスとガードナー『ディープサウス』
  • [135] ウォーナー『ヤンキー・シティ』シリーズ。特に第四巻の紹介
    • 1941年 『近代知識社会の社会生活』
    • 1942年 『アメリカ地域社会の社会的体系』
    • 1946年 『アメリカ人種集団の社会的体系』
    • 1947年 『近代工場の社会的体系』
〔余論〕「小労働集団の社会心理学的研究」
(五)産業社会学批判の現状
      • 方法論的諸問題に関する疑義
      • 労使関係的方針からの批判
      • 経営者側的立場性への非難
      • 理論的整備への反省