via 稲上毅・川喜多喬編(1987)『リーディングス日本の社会学9 産業・労働』 https://contractio.hateblo.jp/entry/20220620/p1
- 濱島 朗(1952)「アメリカ労働社会学の成立と発展」
in 尾高邦雄編(1952)『労働社会学』河出書房 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3039526
via 稲上毅・川喜多喬編(1987)『リーディングス日本の社会学9 産業・労働』 https://contractio.hateblo.jp/entry/20220620/p1
「アメリカにおける労働社会学の中心は産業社会学にある」というのが濱島の見立て。濱島は、すでに存在していた労働社会学に対して新興の「アメリカの産業社会学」を位置付けているのだから当然こうなるのだが、これはのちに尾高が設定した包含関係(労働社会学⊂産業社会学)とは逆になっている。
では尾形はどんなロジックで、この包含関係を逆転させたのだろうか。
[096] インフォーマルな労働集団やその有する集団的統制力の確認は、ホーソン・リサーチのもっとも注目スべき成果であった。新しい労働生産性増強作としてのいわゆる「人間的満足を第一原理とする人事管理」は、ここにその理論的基礎づけと実証的裏付けを与えられるのである。そうして、産業社会学は後にみるように、このような経営政策的実践目的に奉仕する社会工学として成立し、発達したということができる。
[098] 1929年の恐慌につづく不況を打開するためにとられたニュー・ディール政策は、私経済の自動的調整力に対する信頼感を失った経営者に代わって、国家による広範な産業等生徒強力な社会政策的施策の推進を可能にし、組合勢力の増大と労働者階級の実業家階級に対する相対的地位の恒常をもたらし、労使関係に著しい変化をひきおこしたのであるが、かような一連の施策に対する不満や反感は当時実業界において無視しえない底流を形づくっていた。とくに第二次世界大戦によって驚くべき潜在力を発揮した実業界は十数年ぶりに自信を回復し、それにともなって反ニュー・ディール運動を積極的に展開し、1943年頃までには主要な政府機関を活動不能の状態に陥れるのに成功したのである。
時あたかも平和産業から軍需産業への編成替えが刻下の急務とされ、労働力の不足とかそれを補充するための不熟練労働者の増大、めまぐるしい配置転換、あるいは軍需産業の飛躍的拡大にともなう労働組合の組織率の発展等々の信じたいの発生は、経営者に対すると劣らず政府に対しても、労働の生産性を増強する一連の施策の必要を痛感せしめるにいたった。30年代の半ば頃から漸く一般に知れ渡るようになったホーソーン・リサーチの成果(特にその管理技術の体系)が改めて注目の的とされはじめたのは、まさしくかような状況の下においてであった。そしてこの場合、ホーソーン・リサーチは二重の意味と役割とをもって登場した。すなわち、一つには戦力の増強という国家的目的のために、二つには人間関係の改善・調整によって経営能率を増進し、あわよくば政府による産業統制や労働関係の調整から経営の自由性を解き放そうとする個別資本の目的のために。
「いわゆるT・W・I(Training Within Industry)運動の進展(1941年以後)も、これら[研究者]の人々の協力なしには不可能であっただろう。この運動は、…、最大限の協力を確保できるように監督者の統率能力や人物処理の訓練・改善する目的をもって発足し、政府の強力な支援の下に各主要都市に訓練期間を設け、そこで各工場から派遣された部課長級から職長級までの人々に労働管理上の指導を行い、二年間に約50万人を訓練したといわれている。これほど大規模な訓練計画はこれまで全く前例を見ないものであった。
かように、T・W・Iプログラムは産業社会学のその後における成長に好都合な一般的な風潮をかもしだしたばかりでなく、幾多有能な学者たちを政府機関や実業界に投入し、その実践的問題の回稀有に科学的な基礎づけを提供する機会を与えることによって、斯学の興隆に資するところけだし甚大なものがあった。戦後のアメリカにおける産業社会学のめざましい進展は、こうした学問活動と実際生活の関心の一地によって可能とされたのである。
TWI研修は、TWIとはTraining(訓練)within industry(企業内の)for supervisors(監督者のための)の頭文字をとったものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/TWI%E7%A0%94%E4%BF%AE
日本では、第二次世界大戦後,占領軍によりもたらされ、労働省(現在の厚生労働省)によって敷衍された。2010年(平成22年)現在、日本産業訓練協会(日産訓)や都道府県職業能力開発協会などを中心に、広く行なわれている。
最近まで、決められたシーケンスに従って行うような仕事、例えば工場の従業員や、店舗の売り場にいる店員などが対象であり,営業マンなどのホワイトカラーの仕事や,医療の現場などの専門職の仕事には講習の内容が必ずしもそぐわないと考えられてきた.しかしながら,…
これに関連して、第二次大戦前・最中に各地の大学に多数の「人間関係」に関する研究所ができ、政府管轄下の工場で応用実験が行われた。
メイヨーならびにハーバード・グループの「人間関係的方針」について紹介検討します。
[110] さて、メイヨーの全思想を通観してみると、その根底には多分に中世的・浪漫主義的な社会観が横たわっているのを認める。産業以前の安定社会に見られるような自発的人間協力、つまり慣習や伝統の権威の下で社会における一定の地位と役割を与えられ、相互に有機的な権利義務の関係に立つ人々が、自己の社会的機能(職分)を全うすることによっておのずから社会全体の共同目的を実現していくような協力関係─軽sねこれがかれの理想として描く社会像であった。