『社会の経済』
I 問い
- [130] 問い
- いかなる内的構造が、自己準拠的閉鎖性とそれに結び付いた逐一依存の放棄とを埋め合わせるのに用いられるのか?
- これら閉鎖性や逐一依存の放棄にもかかわらずシステムが十分ないわば盲目の感受性を身に着けるという状況を、いかにしてシステムは可能ならしめるのか?
- [131] 答え
- 該当する欲求がどれかを自己の構造を通じてあらかじめ確定せずに、とにかく支払いを欲求の充足に結び付けることによって可能ならしめる
- ではそれはいかにして行われるのか。
II
- [132] 「循環」モデルはふつう次のように作られる
- 支払いにより支払い能力が次へ送られる方向へ貨幣が流れる/財とサービスが反対方向へ流れる
- しかしこのモデルは単純すぎる。また「交換」のケースを基準にしすぎている。
- [133] 貨幣調達に関する古典的な解答は「投資」──貨幣支出によって貨幣がまた入ってくる十分な見込みがある場合にのみ、貨幣を支出する──ですが、これだと経済活動のごく一部しかカバーできない。
- [134] 貨幣は、国庫の場合には租税によって調達されるし、家計の場合には労働によって調達される。
- 家計は「消費部門」として特徴づけられがちだが、しかし収益を生むべく組織されている生産の場でも多くの消費が行われている。
- [135] 「問題が解かれる」とは、「問題が同じ構造を持つ系問題に転送され、そこに再び現れる」ということ。
- [135] 古典的自由主義の理論では〈強制/自由〉という区別が使われました:
137 に「プログラムとしての予算」。
III 二重循環運動における第二コード化
- [137] 比較:
- 経済における所有(権)の貨幣による第二コード化
- 政治における権力の法による第二コード化
政治理論と経済理論の比較。ここはあとで再考のこと。
IV 二重循環運動における銀行
- 注14 リチャード・カンティロン(1755)『商業試論』
- 142 銀行に関する公式見解と非公式見解
- [144] 政治システムにおける「国家」と経済システムにおける「銀行」の比較
V
- 注20 ヤノーシュ・コルナイ『反均衡と不足の経済学 (1983年)』