第4章「経済システムにおける二重循環運動」

社会の経済

I 問い
  • [130] 問い
    • いかなる内的構造が、自己準拠的閉鎖性とそれに結び付いた逐一依存の放棄とを埋め合わせるのに用いられるのか?
    • これら閉鎖性や逐一依存の放棄にもかかわらずシステムが十分ないわば盲目の感受性を身に着けるという状況を、いかにしてシステムは可能ならしめるのか?
  • [131] 答え
    • 該当する欲求がどれかを自己の構造を通じてあらかじめ確定せずに、とにかく支払いを欲求の充足に結び付けることによって可能ならしめる
  • ではそれはいかにして行われるのか。
II
  • [132] 「循環」モデルはふつう次のように作られる
    • 支払いにより支払い能力が次へ送られる方向へ貨幣が流れる/財とサービスが反対方向へ流れる
    • しかしこのモデルは単純すぎる。また「交換」のケースを基準にしすぎている。
  • [133] 貨幣調達に関する古典的な解答は「投資」──貨幣支出によって貨幣がまた入ってくる十分な見込みがある場合にのみ、貨幣を支出する──ですが、これだと経済活動のごく一部しかカバーできない。
    • [134] 貨幣は、国庫の場合には租税によって調達されるし、家計の場合には労働によって調達される。
    • 家計は「消費部門」として特徴づけられがちだが、しかし収益を生むべく組織されている生産の場でも多くの消費が行われている。
  • [135] 「問題が解かれる」とは、「問題が同じ構造を持つ系問題に転送され、そこに再び現れる」ということ。
  • [135] 古典的自由主義の理論では〈強制/自由〉という区別が使われました:
    • 強制:租税/自由:自由意思による収益性計算と労働契約
    • そしてこれらの制限はそれぞれ〈国家/ゲゼルシャフト〉の領域にあるものとされました。
    • 19世紀にはすでに、このヴィジョンは「イデオロギー的」だと呼ばれていました。この〈強制/自由〉という区別は、18世紀が古い身分-家族的秩序から脱した「対抗的分化」のひとつだったのでしょう。

137 に「プログラムとしての予算」。

III 二重循環運動における第二コード化
  • [137] 比較:
    • 経済における所有(権)の貨幣による第二コード化
    • 政治における権力の法による第二コード化

政治理論と経済理論の比較。ここはあとで再考のこと。

IV 二重循環運動における銀行
  • 注14 リチャード・カンティロン(1755)『商業試論
  • 142 銀行に関する公式見解と非公式見解
    • 公式見解:銀行は、(自己資本と預金を遥かに超える規模で支払い能力を作り出すことで)信用を供与し、(自己の債権をもとに中央銀行に)信用を供与してもらえる。銀行は創造的な仕事をしている。
    • 非公式見解:銀行は、自分自身の負債を売って儲けうる集中特権(=支払い不能力を「資本主義的なやり方で」売り払って支払い能力に変換しうる集中特権)を持っている。銀行は寄食的な活動をしている。
  • [144] 政治システムにおける「国家」と経済システムにおける「銀行」の比較
V
  • [146]「「資本主義」と「社会主義」の意味論的対立は、それゆえ経済自体によりも、政治的領域に由来するところが大きく、だからこそ、政治的コントロールを受ける地域的な相違に表されるのである。」
  • 〈資本主義/社会主義〉という区別は、経済を考えるのには使えません。