基本的法概念の未開法研究への適用:ホーフェルド(その3)

「なーんか話わかんねーな」と思いつつ、再度テクストを確認してみたら、たいへんな誤読をしていることに気がついた。表をつくるときにすでに間違えてるじゃないか。はっはっは。

こうだよ↓:

ホーフェルド図式(ホーベル改訂版)
  人A   人B  
I 要求権 demand right ←→ 義務 duty  積極的関係 
II 特権的権利 privilege right ←→ 無要求権 no demand right  消極的関係 
III 権限 power ←→ 責務 liability  積極的関係 
IV 免責 immunity ←→ 無権限 no power  消極的関係 
      • 積極的=能動的関係:裁判所その他法律上の有権機関の強制的権威に従う命令的関係
      • 消極的=受動的関係:それだけでは直接に法的手段により執行される事がない関係



「I」と「II」の「語句説明」だけ抜き書きしてみると:

要求権は、BはAとの関係において一定の仕方で行動すべきだという法的期待を、Aが持つことを意味する。

  • Aが、「Bは私のために何をし(あるいはすることを抑制し)なければならないか」と訊ねる立場にある場合である。
  • もしBがAの要求権に応ずるように行為しないときは、AはBに対し法的強制に訴えることができる。
    • 債務の場合ならば、Bは百ドルを支払わなければならない。これがAの要求権である。

義務は、Bが、Aとの関係において特定の仕方で行動しなければならないことを意味する。

  • Bが、「私はAとの関係で何をし(あるいはすることを抑制し)なければならないか」と訊ねる立場にある場合である。
    • 債務の場合ならば、Bは百ドルを支払わなければならない。これがBの義務である。

あるいは、BはAに暴行することを抑制するという法的期待をAが持つとすれば、これがAの要求権であり、BはAに暴行することを抑制しなければならないというのが、Bの義務である。[p.52-3]

特権的権利は、Aは、Bとの関係において一定の仕方で行動する自由を持つことを意味する。

  • Aが、「私はBが求める法的制裁をこうむることなしに何をしてよろしいか」と訊く立場にある場合である。
    • この場合Aは、Bの意思にかかわらず、(自分が確かな権原を持つ)自動車をX、YあるいはZに売ることが自由である。これがAの特権的権利である。

無要求権は、AがBとの関係で一定の仕方の行動をしたとき、Bが法的救済手段を持たないことを意味する。

  • Aにとって、Bに向って特定の仕方で行動するのに何の義務も課されていないのである。
  • だから、Bの立場は、Aにそのやり方で行動することを認めるという、Aに対する無要求権の一つである。
    • この場合、Aは、Bの意思にかかわらず、(自分が確かな権原を持つ)自動車をX、YあるいはZに売ることが自由である。これに対して、Bは無要求権を持つ。 [p.53]


それで、ホーベルの主張は、

  • 「法」には──「能動的」なものだけじゃなくて──「消極的=受動的」なものもあって、
  • 「それだけでは直接に法的手段により執行される事がない」ような関係ではあっても、
    • 裁判所がなくとも
    • 「法的強制」がなくとも
  • 「法」と呼ばれうるものがあることは あるのだ、云々、

ということになるんでしょう。


(- ∀ -)スゥスゥスゥ.........   ( ゜д゜)ハッ!


‥‥‥で、何がわかったことになるの?

私は、「未開社会でも法と慣習は一体ではない」ということを、どのへんから理解すればよいのでしょう...。


うーん。わからん。
わからん理由、その可能性は2つ。

  • 1)そもそもホーベルさんの「慣習」についての考え方がヘンである。
  • 2)4章が、<法と慣習>と<無体/有体>の二つの論点(=効用例)からなる、という私の読み方がそもそも間違っている。[→ここ
  • 3)その他。

どっちもありそうだ(というか (1) のほうは、かなりはっきりヘンだ)。
さて。どっちから検討しようかな。