Archaeology of Knowledge (Routledge Classics)
|
|
何を激昂している*1のか、オーディエンスにぜんぜん伝わっていないかもしれない、という危惧を抱いたので、フーコーの陳述のどこがどういう意味で 劣悪ななぞなぞ状のなにか になっているといえるのか、について書いておく。
以下、
と表記する事にしよう。
さて。
フーコーがここで「俺は示した」と宣言した主張──そして『知の考古学』という著作が なにをおいてもそれを示す為に書かれ、またこれ以降に登場する『考古学』の主要主張が まさにそこから引き出される基盤となっているその主張──は、次のようなものである:
【S】〈R〉は〈F〉に対応している
したがって、ここで読まれることを期待されているはもちろん、
-
- フーコーは【S】をどのように示しているのか
- 【S】が示せると何がいえることになるのか
そして、
-
- そんなことをいってみて何が楽しいのか
ということ、──これである。そして、これに「対応」する、いま私の方が実際に従っている読解のお約束=戦術は、次のように定式化できる:
【T】Sを示す手続は、次のようになるはずである。フーコーの文を、そのように読め:
- T1.【考古学の方針】〈ri〉を〈fj〉(あるいはその組み合わせ)として扱え。
- T2.【考古学的記述】それは、〈D〉(or 〈dk〉(i は4以下の自然数))をすることであり、
- T3.【記述の獲得物】それによって、〈G〉(or 〈gk〉)が可能になる。
〈R〉を「リソース」として(だけ)でなく、「トピック」として──そのために〈F〉として──扱えとパラフレーズできるものであった。
ここからさらに、【T1】に限定を加えたものが、「決めつけおやぢ読み」。で、それは【T1】を、
【T1'】〈rn〉を〈fn〉(n は4以下の自然数)として扱え。
と変更したものである。
念のため、「おやじの格律」に従ったベタ読みが可能だと想定した場合の 帰結の最初の部分を──冗長かつ贅言ながら──書き下すと:
- 「対象」を、「言表の相関者=言表の指示先」として扱え
- 「言表様態」を、「言表レベルの主体」-として(or のほうから-)扱え
- 「概念の体系」を、「言表-が結合した・共存の-空間」のほうから扱え
- 「主題と戦術」を、「言表の反復可能性」のほうから扱え
となる。(私にはすでにこの時点で、この読解に自信がなくなっているわけだが。)
いま問題にしている [p.129] は、──とりあえず少なくとも「文体上の特徴から」からみるかぎりでは──〈G〉は「書かれてるっぽく」読め、読者としては、さらに〈D〉もついでにちゃんと書いといてくれ(てる)よな(、当然)、と期待してよいだろう箇所である。
です。
私はフーコーに、望んではならぬ事──まともな文章を書け──を 望んでしまっているのか?
ちなみに。
念のため書いておくと、
- 【M】that which implies that one defines the set of rules common to
all (c) their associated domains, the forms of succession, of simultaneity, of the (4) repetition of which they are capable,
and the system that links all these (c)fields of coexistence together;
に出てくる「system」という語を「概念体系」だとして読む、という読み方はやってみた。が、これは不可能。
というのも、もしもそうなら、【M】は、
すべての「c) 言表の共存空間」たちを互いに結びつける「[3] 概念の体系」
について語っていることになるが──つまり、〈或る概念体系〉が〈複数の言表空間〉を結びつける と述べていることになるが──、だとするとするとこれは、
- 「言表」を「概念」の方から扱っている
ことになり、つまりは
- 〈R〉を、言表のほうから(=〈F〉として)扱え[=概念体系を言表のほうから扱え]
というのとちょうどまったく逆の主張をしていることになってしまう。──ということ。
それとも私、英語の読み方を間違ってますか?
「the system that links all these fields of coexistence together」は、そうは読めないよなぁ。
*1:いや、してないが。