陰鬱な気分で『ディスクールの秩序』[1970]再訪。
例によって「〜でなく、〜でなく、〜でなく」と言っている時は威勢がよく、そしてそうした否定でもって陳述は満ち満ちているが、ひとたび「〜である」と述べる段になると とたんにしどろもどろで要領を得なくなる。困った人だ。というか、
てことで、やはり何を言ってるのかわからない。
- 作者: ミシェル・フーコー,Michel Foucault,中村雄二郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1995/08
- メディア: 単行本
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何を言っているのかよくわからないとはいえ、「読解のお約束」のみに従って 登場するトピックを整理する事はできるので、とりあえずそれだけはしておく。
やっていることは、
- まず講義で扱いたい3(×3=9)つのトピック=主題を列挙し、
- それらを分析するのに使用する4つの「原理」をあげ、(途中で「哲学史・思想史」の脇道にちょっとそれたあと)ていうか「原理」とか言うな。
- その4つの「原理」を(批判的/系譜学的、の)2つに分類したうえで、
- それらによって、トピックがどのように扱われるかを手短に外観(しつつ、扱うべきトピックを絞り込みつつ再予告)する。
といったところ。以下、それを単純に列挙する(だけ)。
まず、講義でとりあげる 3(×3=9)つのトピック:
言説の排除 の手続 (外的な手続) [p.9-22] |
1-1:言葉を禁じる事 [p.10] | ■言説の外側から行使され、排除のシステムとして働き、力と欲望とを働かせる言説の持ち分 [p.22] |
1-2:狂気の分離と拒否 [p.11-12] | ||
1-3:真-偽の対立 [p.14〜22] (真理への意志〜知への意志) |
||
言説の〜〜 の手続* (内的な手続) [p.22-38] |
2-1:注釈 [p.23-27] <新しい言説の産出/言説の反復> |
■出来事・言説の偶然性を、〈アイデンティティ〉[という希少化rarefaction の原理]によって制限・拘束し、払いのけること[によって、言説を産出させること] [p.31] |
2-2:(機能-)作者 [p.28-31] | ||
2-3:(学的)discipline [p.31-38] | ||
言説の従属** の手続 [p.38-47] |
3-1:言語的儀礼 [p.40-41] | ■言説の活動の諸条件を決定し、言説のはらむ力・偶然性が働く余地を──それにアクセスする人を限定し・その人に役割と評価を与えること[=語る主体の希少化]により──コントロールすること [p.38] ■言説に対する-語る主体の-従属/語る個々人の集団に対する-言説の-従属[ p.45] |
3-2:言説の社会 [p.41-45] | ||
3-3:言説の集団的所有 [p45-47] |
** これについては「言説の所有」という表現もあり。
次に、上記トピックを分析する際に準ずるべき 4つの「原理」。[p53-]
- 転倒の原理 renversement
- 非連続性の原理 discontinuite
- 特殊性の原理 specificite
- 外在性(物質性)の原理 exteriorite
ところで、上記のトピック列挙に続けて「4つの原理」を導入するにあたってフーコーさんはこう謂うのだが:
以上がこの講座でこれから数年の間行いたいと思う研究を統べる課題、あるいはむしろいくつかの主題であります。たちまち、それらがともなう若干の方法上の要求を見定める事ができます。
どう関係しているのか まるで自明ではない罠。
そして、次のように謂って:
したがって、[「四つの原理」を敷衍する中で登場してきた*]四つの観念は、分析への規制原理として働くわけであります。[p.56]
* ‥‥と言いたいんじゃないかとは思う。
次の四つの観念をあげるのだが、これらが「4つの原理」とどう関係するのかがまたわからない。
- 出来事
- 系列serie
- 規則性
- 可能性条件
最後。上記原理のグループ分け。(当然これは、分析のグループ分けでもある。)[p.62]
私がなすべき分析は、二つのグループにしたがって準備されます。
- 一方では、それは逆転の原理を実現する「批判的」グループであり[‥]
- 排除、制限、所有などの形式を取り囲もうとする。
- またそれは、それらの形式が
- いかなる要求に応えてどのように形作られたか、
- どのように変容され、移動されたか、
- 実際にいかなる拘束を加えたか、
- どれくらい変えられたか、を示すものであります。
- 他方、それは、他の三つの原理を実現する「系譜学的な」グループです。すなわち、
- どのようにして言説の系は拘束のシステムを横切り、拘束のシステムにもかかわらず、あるいは拘束のシステムに支えられて、編成されたか。
- 個々の系に特有な規範はどのようなものであったか。
- それらの出現、増大、変化の諸条件はどのようなものであったか。
以上の三つです。
- 「どのようにして言説の系は拘束のシステムを横切り、拘束のシステムにもかかわらず、あるいは拘束のシステムに支えられて、編成されたか。」
「4つの原理」も「4つの観念」も、どれも基本的には既に『考古学』の中に登場していたものであり、一つ一つをとってくれば、ネタとしては それなりにわからんこともないようなきもしないでもないことはないこともなくはないんですが。
が、そもそも、
- こんな、「批判的」とか「系譜学的」とかいう分類がなぜ必要なのか、
- そんなことをして何が楽しいのか、
- また、それらはなぜそのように呼ばれるのか、
などなどは、さっぱり分からないわけなのでした。....憔悴。
とりあえず、ここからわかることは──フーコーがどう考えていたかはともかくとして──、パーツの配置からだけみれば、
-
- 「系譜学」は「考古学」の下位集合である。
- 「考古学」=「批判的」部分+「系譜学的」部分
- 「系譜学」は「考古学」の下位集合である。
といえそうに思われるわけですが。
ところが、「思考集成IV」あたりをみていくと、どうやらそうはいえない(考古学と系譜学が併置されたりしているわけで)。
そのへんの首尾一貫性のなさに、私としては 脱帽です。
というか憔悴。