昼食。昨日の研究会で、「教育社会学においては、授業や学習を相互行為として捉える、というやりかたはメジャーな流儀ではなかった」(大意)という驚天動地の知見を得たので、──次回論者と会うときの準備として──再読しておく。
- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,村上淳一
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2004/09/01
- メディア: 単行本
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別の箇所でルーマン先生は、学級=授業──という対面的相互行為システム──における「インデクシカルな表現」を採り上げながらガーフィンケルを参照しているが、ひょっとすると先生は、これがもっぱら「対面的相互行為」に関係する事柄だと誤解しているかもしれない。
ところで。大先生の訳だから、こなれていてよい訳文であるし 安心して読めもするのだが、しかし 本文中に訳注を挟むのはやめてくれないか。せいぜい2行程度のものならまだしも、訳語選択の理由とかを10行とかにわたって延々と挟むのはどうかしてる。しかもしばしば文の途中だったりするし。尋常じゃないよ。そりゃ大先生の付けた注釈ともなれば、あれこれと勉強になりはする(ところもある)が、
とはいえ「大先生独自の俺様見解」も少なくない──というかむしろしばしば激しく暴走している──が、
まぁそこは それでこその [daisensei]なので、目をつぶるとしても、
なにしろ読みにくくてかなわないよ。
こういうのはあれだ。中小企業の連呼CM*に通底するものがあるよな。「とにかくお前ら読め」と。「この訳注を見過ごすこと読まずに済ますこと まかりならん」という。
いくら大先生相手だとはいえ、東大出版の編集者はなにをしておったのか。職務放棄すんな。