大森(2008)「権力分立論における政党の位置」

大森貴弘(2008)
「権力分立論における政党の位置
──三たびニクラス・ルーマンのシステム理論に着目して」
早稲田法学会誌 58(2)
  • はじめに
  • I キングとソーンヒルによる政治システムの捉え方
  • II 初期ルーマンから後期ルーマンへの変遷について
  • III 権力分立論における政党の位置
  • IV 検討および示唆
  • おわりに

課題設定

  • 古典的権力分立論
    • 立法機能: 議会
    • 行政機能: 行政府
    • 司法機能: 裁判所

p.153。

日本では権力分立の要素として政党を考慮する学説は今なお少ないのが現状である。このような不十分さを補充するために、本稿では、ドイツの社会システム論者である二クラス・ルーマンの見解に着目しつつ、権力分立制における政党の位置づけについて論じることにしたい。

メモ

  • 初期ルーマンの議論においては、「法システム」は独立した位置を与えられていなかった(=法の分立はいわれていても、法システムの分立はいわれていなかった)。→「司法」も、「政治システム」に含まれていた。
    • 1972年に、議論は大幅に変更される。「法システム」と「政治システム」がそれぞれ独立したシステムだとされるようになる。→「司法」は法の側に位置づけられるようになるが [p.162-]、「立法」の位置が微妙なものとなる↓[p.165-]
    • 中期ルーマンの議論では、立法は「政治システムから法システムへの法律の供給」という図式が用いられている(ex. 1981, 1982:)。ここでは、「立法」は、政治と法の双方に「含まれている」ように見える。
    • 「オートポイエティック・ターン」によって、この「二重の相互交換」図式も破棄される(ex.1983)。

検討対象

ルーマンの諸論考を検討するついでに こいつの批判もしておくよ:

Niklas Luhmann's Theory of Politics and Law

Niklas Luhmann's Theory of Politics and Law

ちょっと読んでみて「なんじゃこら」と思っていたこの本ですが、大森さんの評価も相当辛いです。ていうか大意でいうと、「ダメ本もいいところ」ですな。

キング&ソーンヒルの解釈はどこが間違っているか。
  • ルーマンのいう「(狭義の)政治」を、[北米的語法における] 執政executive だと解している。
    →議員内閣制のもとで執政権を行使する政府の構成員(=与党の指導的人物や高位の党員など)としてイメージされる。さらにここには「政府」が含まれるものと解釈されている。
  • ルーマンのいう「(広義の)行政」を、[北米的語法における] administration だと解している。
    →さらにこれが「(広義の)立法」のことだと解釈されている。
    • キング&ソーンヒルは二重に誤っている:
      (1) 初期ルーマンの〈政治/行政〉図式を、上記のように理解している点で。
      (2) 初期、中期、後期において、ルーマンの議論が相当変化しているのに、それを無視して、上記のように誤解した初期図式に 中期・後期の議論を繰り込んだうえで 解釈してしまう点で。

文献