涜書:鈴木弘輝「差異を大切に」

@knife0125 氏が参照していた論文を読むものである。

しかし、もう一つ、この議論を通じて筆者が「暗に示したい」と考えていたことがある。それは、[...]

すごい。・・・・ここで「暗示」概念がダチコウツクされているのではないか。


■参照文献:

子どもはもういない―教育と文化への警告

子どもはもういない―教育と文化への警告

世界コミュニケーション

世界コミュニケーション

意味に餓える社会

意味に餓える社会

人権について―オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ

人権について―オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ


ていうか、なんかこれ読んだことあるな、と思ったら読んでた。


そうだそうだ。
この素敵なコメント、忘れられないよね。

※最近、下記のように公表および発表しているものについて、特に下記の雑誌に拙論文と併載されている私の写真および外見について、私と面識のある方が御本人のブログ上で、揶揄するような発言を書いているのを発見して、とても悲しくなりました。論文の内容について検討していただいた上で論評することを、不特定多数の人々が見る可能性のあるブログ上で行うことについては、私自身も重要なことだと考えています。しかし、写真や外見に関するような事柄であるならば、直接会うなり、電話するなり、メールするなりといった方法で伝達するべきことだと、少なくとも私は考えます。
同様に、もしも写真および外見に関する事柄だけでなく、拙論文および拙発表に関する事柄でも、内容を検討しているというよりは特定の言葉に反応して揶揄しているように(私には)読めるようなものが、面識のある方のブログに上がっているのを見たならば、やはり悲しくなると思います。なぜなら、揶揄するぐらいのことであれば、直接会うなり、電話するなり、メールするなりといった方法で伝達するべきことだと、少なくとも私は考えるからです。もっとも、これについては「どこまでが内容の検討で、どこまでが特定の言葉をもとにした揶揄なのか」は、私にも判断がつきかねるとは思うのですが。

http://homepage2.nifty.com/hirokisu/

言及先↓

同誌の6号の執筆陣を見てビックリ。堀内進之介さん(「配慮なき世界への配慮」)と鈴木弘輝さん(「差異を大切に」)、そして鈴木謙介さん(「グローバルな情報社会はローカルなコミュニティを再生するか」)という、3人もの宮台門下の方がたが執筆に参加しております。まさに宮台門下生スペシャルと思えてしまうような感じです。
そして、なによりも3人の写真がカッコいいんです。とりわけ鈴木弘輝さんの写真は、まるで別人かと見まごうばかりの出来だと思いました。この雑誌、随時投稿論文を受け付けています。採用されればカッコいい写真を撮ってもらえるかもしれません。書いてみようかな……。でも、もう5年くらい論文なんて書いていないので、まともなものは書けそうにありません。

http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2006/07/post_4663.html

2006年7月のお話でありました。