4章5節

p.239-241

言語と再帰性──再帰的コミュニケーションの分化

[言語がなくてもコミュニケーションは生じる。しかし言語がある場合、コミュニケーション過程は知覚のコンテキストから分出しうることになる‥‥]

コミュニケーション過程のそうした分出をとおしてはじめて、社会システムの分出が実現可能になる。こうしたコミュニケーション過程は、言語によるコミュニケーションからのみ成り立っているのではない。だが、こうしたコミュニケーション過程が言語によるコミュニケーションに基づいて分出されているということは、社会的行為において、それどころかさらに社会的知覚において見いだされるもののすべてに甚大な影響を与えている。

言語行動が簡明的確さ、注目のひきやすさ、および注意のしやすさの点で格別に卓越しているということだけが、コミュニケーション過程の分出に寄与しているのではない。同様にまた、

言語によってコミュニケーション過程の再帰性(Reflexivität)が保証され、そのことによってコミュニケーション過程の自己制御が可能とされているということが重要なのである。
 過程が再帰的になるのは、過程がその過程それ自体に対してもまた適用されうるばあいである。コミュニケーション過程の再帰性は、コミュニケーションについてのコミュニケーションが可能であることを言い表している。そうした再帰的なコミュニケーションにおいては、

  • コミュニケーションの成り行きをテーマとして取り上げることができるし、
  • 言明されたことがらがどのようなものであるのかを問いかけ、解明することができるのであり、
  • コミュニケーションを切断したり、コミュニケーションを拒絶したり、コミュニケーション連関を調整したりすることなどが可能である。

そうしたばあいには、いずれも情報と伝達の差異がその根底に存している。ただし、再帰的なコミュニケーションのばあいには、コミュニケーションそれ自体が情報として取り扱われており、伝達の対象になっている。このことは、言語なしにはほとんど不可能である。というのも、コミュニケーションとして感受されただけでは、その後のコミュニケーションをどうするのかが一義的に明らかにされるわけではないからである。このばあいも例にもれず、コミュニケーション過程が再帰的になるということは、コミュニケーションが再帰的知覚のコンテクストから]十分に分出することと、その過程の機能的特定化とを前提としている。というのも、コミュニケーション過程がそのコミュニケーション過程それ自体に立ち返って関係づけられる可能性は、言語によってはじめて、いかなる時点においても見いだされ、比較的問題なく処理でき、別段驚くことのない可能性となるからである。

 さらにそうした再帰性それ自体は、いっそう高次の複合性やいっそう先鋭な選択性の有しているリスクを補償するのに役立つことができる。疑問なばあいや意思の疎通が難しいばあいにそれが何であるか問い合わせることができるのであれば、これまで期待されなかった伝達や、いままでとは異なる伝達を敢えておこなうことができるし、いっそう簡潔にみずからの考えを表現できるし、吟味せずに理解の地平を前提とすることができるし、あるいは互いにまったく知らない人びとがコミュニケーションできたりするのである。コミュニケーションをとおして意思の疎通が首尾よくおこなわれたのか失敗に終わったのかに関してコミュニケーションできる、あのメタ水準のコミュニケーションがつけくわえておこなわれるのであれば、直接のコミュニケーションにおいて、すべてのことをあらかじめおこなう必要はないのである。

再帰的コミュニケーションの遮断*

 言語によるコミュニケーションにおいては、そのコミュニケーションそれ自体へ再帰することがあまりにも容易におこなわれているので、そうした再帰を排除するための特別の遮断機が必要になる。そのために、隠喩的な言葉や比喩の意図的な使用、意図された両義性、パラドックス、ユーモアに満ちウィットに富んだ言い回しといった遮断機でこうした再帰が排除されることになる。それと同時に、こうした言語形式は、なぜ、どうしてそうたのかと問い直すことがナンセンスであるというシグナルを伝えている。こうした言い方は、その瞬間においてしか機能しない──そうでなければ、そもそも機能しない。

*「再帰性の遮断」については、11章5節[p.825]で再説される。

節のまとめ

 本節の以上の考察により、コミュニケーションが強化されるという事態がいかにして成り立つのかが見分けられた。そのすべては、コミュニケーションの出発点となる情報と伝達の差異がしつらえられるかどうかにかかっている。このことの核心は、情報と伝達という二つの選択的な出来事が観察者によって区別されることに存している。このことがたしかにおこなわれるのであれば、そのことにさらなることがらが接続できることになり、それに関連して期待が形成され、そのことに相応して特定された行動つまり発話がおこなわれ、コード化されうることになる。もともと概念というものはさまざまに規定されうるものなのだが、とくにコミュニケーション概念については、膨大な数の、まさしく多種多様な提案が存している。本書では、コミュニケーションをそもそも可能にしているもの、すなわちコミュニケーション過程を構成し、それに自立性を付与している差異に焦点を合わせることをもって、コミュニケーション把握の基底にすえている。