『社会の経済』
- 偶発性定式としての稀少性
- コミュニケーション・メディアとしての「所有」
- 所有による稀少性処理と貨幣による稀少性処理の差異について
頁数 | 主題 | 要約 | |
I | 06 | 稀少性の規定:自己言及性とパラドクス | 後に続く占取の可能性を制約するという条件のもとにおける占取が稀少性を生み出す。 |
II | 02 | 生存維持経済・道徳経済からの交換の遊離 | 希少性パラドクス制御の宗教・道徳からの移転 |
III | 06 | SGCMとしての所有 偶発性定式としての稀少性 |
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IV | 07 | 稀少性概念の変容 | 貨幣による所有の二次コード化 貨幣による稀少性の二重化(財と貨幣の稀少性) |
V | 08 | 二次コード化以後のパラドクス緩和策について | 欲求の抽象化 公的信用 〈供給/需要〉と〈量/配分〉 |
VI | 10 | 特に労働によるパラドクス緩和について | |
VII | 05 | プログラム化によるパラドクス緩和 |
I 稀少性の自己言及性
- [178] 有限なものをなんでも稀少というのはやめましょう。(占取や分配といった)社会的決定によって問題状況が同時に規定されている場合にだけ稀少性を使いましょう。
- [179] 後に続く占取の可能性を制約するという条件のもとにおける占取が稀少性を生み出す。
- 占取は稀少性を生み出す/稀少性は占取の動機として働く
- 占取は、自己自身を制約する条件を作り出し、自らが与える効果を 自らの動機とする。
- [180] 楽園からの追放は、罪であるとともに運命である。アダムとイブは罪を負っているが故に罪を負った者になった。そうでなければ蛇の言葉に耳を傾けることはできなかっただろう。
- [180] 占取は、それが取り除こうとするものを作り出す。十分な量を確保しようとすることが稀少性を作り出し、稀少性があることが十分な量の確保に意味を持たせる。
- [183] ジラール的人間学
- 人間は他人の欲望を模倣する
- それによって模倣対象とのコンフリクトが生じる。
- この問題は禁忌が衰微するとともに緊要さを増す。
- 問題は、かつてはそれを効果的に無菌状態にできたいた宗教という領域から、経済の領域に移される。
- ここから啓蒙の旅路が始まるが、それはパラドクスの虜になるほかはない旅路である。
- これを二重の偶発性の特殊ケースとみなせば、人間学的に組み立てられたジラールの議論から人間学を抜き去ってシステム論的に改鋳できる。
-
- 注14 『自己言及性試論』所収の「社会・宗教・意味」。
- 注11, 18 ポール・デュムシェル&ジャン・ピエール デュピュイ『物の地獄―ルネ・ジラールと経済の論理 (叢書・ウニベルシタス)』
-
- 注15「明瞭そのものだと思うが、ここで提示されるのはマックス・ウェーバーの人間学に対する代替案でもある。ウェーバーの考えるところによれば、人間はかなりの程度禁欲を通じて価値特有的・宗教的あるいは経済的合理性に向けて動機づけられるものであり、近代の歴史は習得された禁欲と価値との関係を取り替えることと解釈される。一方、ジラールの文脈では「禁忌」の衰微が事を決定的にしている。両者の解釈に欠けているのは、変遷の十分な社会構造的描写…である。」
ルーマン先生、自分ではそれをやってるつもりなんですか。
- 183 問われるべきこと:
①稀少性のパラドクス
②パラドクスを不可視化する形式
③この問題は どの程度 宗教から分離できるのか
II 道徳経済/貨幣経済
- 注20
- George M. Foster, 1965, Peasant Society and the Image of Limited Good.
https://www.jstor.org/stable/668247 - George M. Foster, 1967, Tzintzuntzan: Mexican Peasants in a Changing World
- George M. Foster, 1965, Peasant Society and the Image of Limited Good.
- 注21 道徳経済:スコット、ジェームス(1976→1999)『モーラル・エコノミー―東南アジアの農民叛乱と生存維持』高橋彰 訳、筑摩書房
- 注22にポランニーとルイ・デュモンへの批判的コメント。
- [186] 本章全体の中心課題
稀少性をパラドクスから解放し、分岐を通じて操作可能にすることが問題であるとすれば、そしてこの働きをかつては道徳的コードが担っていたとすれば、何がそれに代わる機能的等価物となるのであろうか。
答えは、「象徴的に一般化したコミュニケーション・メディア(としての所有)のコード化」。
III コミュニケーション・メディアとしての所有/偶発性定式としての稀少性
- 注27 マーシャル・サーリンズ(1974→1984)『石器時代の経済学 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)』
- [187] 問題は、その解答の相関物として発生する。稀少性は、分配の結果として発生する。
- [187] 「所有を、この概念の伝統的な意味で、法的に保護された物件支配(dominium)と解する場合には、所有がコードとして働くという事実およびその様相は十分に捉えられない。」
- 注32 エルマン・サーヴィス(1966)『現代文化人類学〈2〉狩猟民 (1972年)』
190に「偶発性処理形式」初出。
- 注33 偶発性定式の例
- 限定性:それ自身の可能性を、自分自身を問いただす理性によって超越論的に成約する
- 道徳における自由
- 宗教における神
- 政治における公共福祉
- [191]
われわれがすでに数世紀来、貨幣経済の条件のもとで暮らし、我々の意味論をそれに合わせてきた後となっては、もっぱら物件所有を前提としたかつての思考方法を再構成するのはひどく骨の折れることである。その当時の状況では、所有に関して経済的・政治的・家族的局面はほとんど切り離せないものであった。所有は自己保存の権利とみなされ、この権利だけが人々に全体社会への加入資格を与えたのである34。所有の機能は、市民社会の成員となりうる資格要件としての、かの自立性を保証することであった35。したがって、経済の貨幣的完全分化以前には、所有のコード機能──すなわち全体社会の経済への所有者と非所有者の包摂──もまた適切には理解され得なかった。当時は所有概念そのものが、ローマ法学が「ローマ法的所有概念」として作り上げたものとは全く異なって、どちらかといえば不明確なかたちで与えられており、そこでは紛れもなく、支配(dominium)と法的関係づけ(proprietas)の区別ができれば十分であって36、法の中味をそれ以上概念的に組み立てる必要はなかった37。しかしはっきりしていたのは、「支配(dominium)」が社会の優勢な秩序形態に対応して、「権利(ius)」とは違い もっぱら上から下へ向かって作用するという点であった38。そして所有についてのこの優勢な意味解釈に比べると、得られる成果から見て所有の利用がより経済的なのかより政治的なのかということのもつ意味は二次的であった。
所有の「享益(fruitio)」は、正当化が必要であるようなものではなく、正当化それ自体であった。なぜなら、享益には良い(正しい、りっぱな)生活の獲得とその生活の喜びとしての全体社会そのものが体現されていたからである。17世紀になってようやく、そしておそらく偶然ではないが、民族言語で書かれた文献の助けを借り、かつまた貨幣経済のもたらす帰結の認識と並行して、「享益」の意味論は独自の道を歩み始めることになる。──それはまず、自分自身で証明される(だがもはや全体社会によって証明されるのではない)喜びの人間学というかたちをとり、次いで、(使用/収益(uti/frui)に代わる)新しい種類の区別をもって悟性と理性に対抗する共存のターミノロジー──これは外部から全体社会に要求を課するのだが──のかたちをとった40。これにともなって所有の「享益」要求もそのおおらかさを失い、代わって合理的な管理によって自己を正当化せざるをえなくなる──さもなければこの要求は漸次的消滅に甘んじるほかはない。すなわち、所有は貨幣経済の文脈に順応せざるをえず、一方の形態(所有)では固定された貨幣とみなされ、他方の形態[非所有]ではそうみなされない十分な根拠がある場合にのみ、自己の地位を維持しうるのである。
IV 稀少性概念の変容:貨幣による二次コード化と貨幣による稀少性の二重化
- 稀少性問題が論じられる場所が、物件(~土地)所有から貨幣へと移動して行く
- 「所有経済」から「貨幣経済」へのカタストロフィックな移行
- [194] この移行は、稀少性が、財の稀少性と貨幣の稀少性によって二重化された、ということ。
- それは、言葉に並んで文字も登場するのに似ている。
- 「経済的合理性」なる観念と行動は そもそも如何にして登場しえたのか
- [197] 銀行の登場
- 注48 ヒューム dis。「総量一定仮説から離脱できないと銀行の機能は理解できない」の例として。この点は次節注51付近で敷衍される。
V 二次コード化によって可能となった諸々のパラドクス緩和策について
- a. 欲求の抽象化
- [199] 稀少性という観念に生じた革新は、18世紀の政治経済学で──富の概念と並行して──欲求の概念が一般化されるところに間接的に表現されている。
- 注50 Nicholas Xenos, 'Classical Political Economy: The Apolitical Discourse of Civil Society', Humanities in Society, 3 (1980), 229-42.
- [199] 稀少性という観念に生じた革新は、18世紀の政治経済学で──富の概念と並行して──欲求の概念が一般化されるところに間接的に表現されている。
- b. それへの反応:公的信用
- 著名な例(注51) ヒューム「公的信用論」
- c. 供給と需要の分化
- ほかの追加的な策の探索
- 201-202 内部分化による緩和策:諸領域における例
- 経済(交換):需要と供給の分離
- 法:法制定と法適用の分離
- 学問:経験的問題設定と超越論的問題設定の分離
- 学問:〈発見の文脈/正当化の文脈〉(ライヘンバッハ)の分離。
202「知識の発見は偶然に制約されたプロセスで、心理上あるいは伝記錠の特殊事情に依存しているかもしれない。けれども真/非真というコードによる検証はそうした事情に左右されなくなっており、しかも生成〔~発見〕の文脈からいかなる論点をも取り去るわけではない。」 - 経済(分配):量の決定と配分の決定の分離
- 注60 「それゆえ、パラドクス解消にかんする二つの異なった提案を伴う二つの異なったパラドクス観察が問題であることになる。
・〈供給/需要〉の差異が交換及び均衡の理論で導き出されるのに対して、
・分配理論的考察は〈生産/消費〉の差異…に反応する。
経済理論が交換理論的アプローチと分配理論的アプローチを統合できず、一方のアプローチの多方に対する優勢を前提せざるをえない理由は、おそらくこの点にあろう。」
- 201-202 内部分化による緩和策:諸領域における例
人類の中でも特にルーマン先生しか行わないタイプの比較です。
- [202] 〈法制定/法適用〉、〈発見/正当化〉、財・貨幣の〈量/配分〉といった分離は「構造形成的分化」と呼べる。
- 区別の両側がともに偶然的であり、絶対者を持ちだす究極的・宇宙論的・階層論的な基礎付けを放棄している。
- 秩序をもたらす価値は、偶然的なもののあいだの非偶然的(or より偶然的でない)関係のなかにある。
- 局所的なシステムは、これらが自己言及的な循環をうまく阻止しているかのように作動する。
- これらが虚構なのだとしても、それらは機能する虚構である。
ここに三ページにわたって「進化」のプチ記述が続く。ここも「注釈」をつける必要のある個所。
- この三ページ内で参照されている主な文献
- 注63 ポランニー『経済の文明史』: 貨幣鋳造の登場
- 注64 Pierre-Paul Le Mercier de la Rivière de Saint-Médard, 1767, L'Ordre Naturel Et Essentiel Des Sociétés Politiques. :重農主義の法解釈
- 安藤裕介(2014)『商業・専制・世論―フランス啓蒙の「政治経済学」と統治原理の転換』創文社:図書館にあり
- 注65 モートン・J. ホーウィッツ(1977→1996)『現代アメリカ法の歴史 (アメリカ法ベーシックス)』 樋口範雄訳、弘文堂:アメリカ慣習法における所有概念の拡張について。図書館にあり。
そして最後に捨て台詞。
206
フランスにおいてはとりわけ、この事態に対して権力(フーコー)とか暴力(ジラール、アタリ、アグリエッタ)とか主権(アタリ)といった表現で政治的なニュアンスを与える傾向があるが、これは避けるべきであろう。それはパラドクスを解消する変換プロセスを神秘化をもたらすだけである。
パラドクス解消の形態は、個々の機能システムにおいてそのつど局所的に適切であると分かるのだが、その形態が多様になればなるほど システムの機能についての啓蒙もそれだけいっそう可能性を増す。
VI 労働
導入。206
前節までの分析のねらいは占取の連繋とそのコード化にあり、そこでの主張は、これによって稀少性のパラドクスが作り出され、かつそれが解消されるというものであった。ところでしかし、稀少性に対する関係は全く別のかたちでも考えられよう。つまりパラドクスの除去に直接役立つ作動を考えることもできよう。われわれはこの作動を 労働 と呼ぶ67。
- 注67 「労働概念をこのように唯名論的に導入した意図は、概念の歴史的意味論を分析する可能性を開いておくところにある。これによって我々はおそらく、労働に関する日常経験からそれほど遠く離れずにすみ、しかも社会科学的ないし経済学的文献の概念規定に拘束されずに済む。
- [207] これまでのあらすじ
- 稀少性の価値への転換
- 労働が唯一の生産要素であるという因果命題
- 所有概念の限定
- 分配政策的議論
- 注69 所有による稀少性のコード化において労働はパラジットの位置にある と述べるとき、「ここで我々が「弁証法的」な議論を控えていることは容易に分かるであろう。もし弁証法に従うならば、労働は〈所有/非所有〉の対立を止揚するもの、つまりこの対立の総合でありえよう。確かに、労働は所有を作り出す。だがしかし、その所有はつねに規定された所有、すなわち他者の非所有としての所有でしかない。労働はコード化を再生産するのであって、コード化を止揚するのではない。」
- 注71 マーシャル・サーリンズ(1968→1972)『現代文化人類学〈5〉部族民 (1972年)』青木 保訳、鹿島研究所出版会:所有の観念が変わるとと労働が増える。図書館にあり。
- 注73 J. H. ブーケ(1953→1979)『二重経済論―インドネシア社会における経済構造分析 (1979年)』 永易浩一訳、秋菫書房:遠隔地で豊作のときに労働価格が上昇する謎現象について。図書館にあり。
- 注74 ジョセフ・ハリス(1757→1975)『貨幣・鋳貨論 (初期イギリス経済学古典選集)』 小林昇訳、東京大学出版会: 裕福な国の方が労働は多い説。図書館にあり。