I 後続の議論のためのイメージメイキング

認知的予期のほうが規範的予期よりも優先されている、という印象があるよね。p. 703

いたる所に、法の重要な基板となるメカニズム──すなわち規範的予期を規範的に予期すること──が、意義を失っているのではないかと示唆するものを見出しうる。

  • 各人が自己の権利のために尽力するよう無条件に要求すること[〜「権利のための闘争」]などもはやできない(…)16
  • その一方で、《人権》が、一種の補填プログラムとして、かつてないほどの活況を呈してもいる。
  • また価値態度(Werteinstellung)も、単に価値を優先したり非価値を《選好しない》(dispreferencing)というかたちにおいてのみならず、さらに広範囲にわたって規範的に要求されたりしている。
    • 単に価値を奉じているだけでは足りない。価値を奉じるべきであるし、他者にそれを要求すべきであるというわけだ。価値態度の規範的制度化が高じて、要求をプログラムとして道徳的に掲げるまでになっている。それに従えば、自己の価値を他者の価値にまで及ぼすべきである(…)のみならず、他者にその価値プログラムに連帯するよう要求しなければならないのである。

しかしながら、規範的予期の規範的予期がこのようなかたちを取った場合、それは法的形式の確固たる世界の、はるか外側に位置することになる。法に敵対することにすらなろう。というのは、合法かそれとも不法かを判定するのは人間性だということになるからである。