涜書:『ミシェル・フーコー思考集成』(3)

再訪。

  • 59「科学の考古学について:<認識論サークル>への回答」(1968)

てことでもうちっと腰を据えて詳細をみていくのである。(以下、引用は段落番号で。)



「非連続性の歴史」
ざんねんながらあんまし内容が無い。ほとんどが、古い「歴史の形而上学」への呪詛、揶揄、自己防衛。
非連続性について語ってくれているのはここぐらい:

非連続性はいまでは歴史学的分析の基本的な要素の一つとなっている。非連続性は歴史学の分析に置いて三つの役割のもとに現れる。

  • まず、非連続性は歴史家の意図的な手続きをかたちづくっている(つまり歴史家がかれの意に反して研究題材から受け取るようなものではない)。というのも、歴史家は、少なくとも体系的な仮説としては、自らの分析のありうべきレヴェルを区別せねばならず、それらのレヴェルに適合する時代区分を設定しなければならないからだ。
  • 非連続性はまた歴史家の記述の結果でもある(つまりかれの分析の効力によって除去されるべきようなものではない)。というのも、歴史家が発見しようとするのは、ひとつのプロセスの境界、ひとつの曲線の転換点、調整的動向の逆転、変動振幅の限界点、ひとつの作用の閾、あるメカニズムの出現、円環的因果性が変調をきたす時点などだからである。
  • 非連続性はさらにまた歴史家の仕事がたえず具体的で明確な規定を与えることをやめない概念である。非連続性はもはやふたつの実定的な形式を唯一の同じ空白で隔てているような、あの純粋で単調な空虚ではない。非連続性は、それがどの領域およびどのレヴェルに見てとられるかによって、異なった形式と機能とをもつのである。[0103]

こっち↓はわかりやすいが、こっち↑は何言ってるか分からん。

  • この[非連続性という]概念は、かなり逆説的なものでもある。というのも、この概念は、同時に研究の道具でも対象でもあるからであり、それ自体がその分析の結果でもあるような分析の領域を画定するものでもあるのだ。
  • また、この非連続性の概念は諸領域を個別化することを可能にすると同時に、その非連続性自体もそれらの諸領域の比較によってしか確定できない。
  • あるいはまた、諸々の統一=単位を崩すと同時に新たな統一=単位を打ち立てるのであり、諸々のセリーに区切って分けると同時に諸レヴェルを倍加する。[0103]



[0104] では スローガン的にこんなふうに言われているわけだが:

 図式的に言えば、歴史学、そしてより一般的に、歴史的な学問領域は、見せかけの継起的連続のかなたに諸々の結びつきの連鎖を再発見することであることをやめたと言うことが出来る。それらの学問はいまや非連続なものを働かせるということを体系的に実行しているのである。私たちの時代において、それらの学問を印しづけた大きな変化とは、

それらの学問の領域が経済的メカニズムにまで拡大したことにあるのではない。そのようなことならずっと以前から知られていた。あるいはまた、イデオロギー的諸現象や、思考の諸様式や、心性の諸型が、それらの歴史的学問に組み込まれたことでもない。そのようなことであれば十九世紀にはすでに分析が行われていた。大きな変化とはむしろ
非連続性の変換である。

  • 障害の位置から実践の位置へと非連続性が移行したこと、
  • 歴史家の言説において非連続性が内在化し、それが還元すべき外部的な宿命性ではもはやなく、ひとびとによって使用される操作概念となりえたこと、
  • 非連続性の帯びていた負の記号が正の記号へと逆転し、歴史学的な読解の否定項(歴史的読解の裏側、失敗、その能力の限界)ではなく、歴史学の対象を決定しその分析を価値づけるような肯定的要素となったこと、

まさにそのことなのである。時間的諸系列の分析のための非連続性のある種の規則的な使用という、歴史家たちのじっさいの仕事において、歴史学がどのように変化したかを理解しようとすることこそが必要なのだ。

その内実がどういうことなのか、ちゃんと言ってくれないフーコーさん♪


ちなみに「揶揄=自己防衛」はこんな感じね:

 多くの人々が私たちにとって同時代のこうした[アナールによる歴史学の革新から発する]事実に気づかずに来たことは理解できるが、歴史学の知がそのことを証言してもう五十年になろうというのだ。じっさい、歴史が諸々の不断の連続性の結びつきであり、いかなる分析も抽象なしにはほどくことができないような連鎖を歴史はたえずつなぎ続けるものであり、人間たち、人間たちの身振りと人間たちの言葉の周囲に、つねに再構成されかけている得体の知れぬ諸々の総合の糸を紡ぎつづけるものであるとすれば、そのとき歴史とは意識にとって格好の隠れ場所だということになるだろう。(以下略)[0105]

とか

 今世紀の初頭以来、[‥] 主体の擁護を自任する者たちは、いつも、「そうかもしれないが、しかし、歴史は……」と繰り返すことを常としてきた。曰く、

  • 歴史は構造ではなく、生成である。
  • 同時性ではなく、継起である。
  • システムではなく、実践である。
  • 形式ではなく、自らを更新しつづけ、自らの条件のもっとも奥底において自らを把握し直そうとする意識の不断の努力である。
  • 歴史は非連続性ではなく、中断することのない長い忍耐である。

しかしこのような抗議の連祷を唄うためには、歴史家たちの仕事から目を逸らす必要があったのである。歴史家たちの実践と言説において現在起こっていることを見ることを拒否し、歴史学の大変化に目をつぶり、[‥] 要するに、[歴史主義者が謳う「主体のがんばり」の]救済のためには、もはや行われていないような歴史学を再構成する必要があったのだ。(以下略)[0106]

とか。