エノンセ/エノンシアシオン

http://d.hatena.ne.jp/contractio/20041027#p2 のつづき。
『知の考古学』(ASIN:4309706118)におけるエノンセとエノンシアシオンの区別について、何がわからないのかがわかった。のでメモ。



原さんとのやりとり:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20041027#c

  • # H  [‥] 個人的には、enonceは「発話内容」、enonciationは「発話」にしようかと漠然とした規則を考えています(揺れ動くのですが)。また誤っていたらどなたかに指摘していただくこととして、わたしは結構ざっくり考えています。<発言されたもの/発言すること>で、いいのではと思っています。proposition/statementは、これらが「確定的」または命題を含む陳述であるのに、enonceはどのようなものであれ(わたしのオヤジギャグも、新聞文化欄の提言も)含むということではないでしょうか。フーコーが、discoursを持ち出すまでに、enonceで、まずいろいろな語られたことを同一平板上に置くことを説明していくなかで、例の序文の「作品」「科学(内のディスクール)」などの基準とは別の基準、その後出てくる一巻・二巻などの区切りではない単位(としてのアーカイヴ−発話の総体)と語っていくと記憶しています(曖昧記憶ですが)。enonce/enonciationにフーコーがこだわり、また中村さんがこれらの訳語を言表/言表行為としているのは、バンヴェニストの問題提起(deixis)を踏襲しているからだと思います。 [‥] (2004/10/27 19:53)
  • contractio 『ども。なるほど、その場合は、<発話されたこと/発話すること>の違い、ということになりますか。
    いずれにしても「enonce」は掴みがたい概念ですね(仕方がないことだとも思うので、これは必ずしも非難ではないですが)。 [‥] (2004/10/28 12:47)



問題は。
つまるところ、この<エノンセ/エノンシアシオン>という区別が、──『知の考古学』の主導的な区別である──<エノンセ/ディスクール>とどう関わるのか がわからない、ということなのでした。
そこでそれを、<語られたもの/語ること>(<発話内容/発話>)と書き換えてみても、
あるいはさらにさらに他の言葉で書き換えてみても、
やはり──それが<エノンセ/ディスクール>区別とどう関わるかを明らかにしない限りは──わからないことに変わりはない。わからないものはわからない。──ということ。


‥‥と定式してみると、この点を考える手がかりが、「反復」という概念にあるのではないか。‥‥ということに気がつくことができる。すなわち。

手元に本がないので、以下、記憶に基づく再構成になるが、まず──正確ではないがフーコーに帰することができるだろう──次のテーゼについて考えてみる。

  • 【A】異なる複数のエノンシアシオンは、「おなじ」一つのエノンセでありうる
    ここで、言葉遣いの素朴な確認をいくつか。
    • エノンシアシオンは「出来事」である。
    • エノンセは「事柄」である*1
    さらに、
    • 「出来事」は反復し得ない
    • 「事柄」は反復しうる。
    • 反復は「出来事」である。
    そして、
    • 反復とは、一つの「事柄」が 異なる「出来事」により再現実化されることである。
    ここで──再び──フーコに帰することができるだろうテーゼに戻ると:
  • 【B1】一つのエノンセの「反復」とは、異なるエノンシアシオンによる再現実化である。

ひっくり返すと:

  • 【B2】二つ以上のエノンシアシオンは、それが或る<「おなじ」エノンセの系serie>に属するエノンセの再現実化である限りにおいて、当のエノンセの反復である。



以上は──なんら「説明」ではなく──、言葉の使い方の確認。


さて、「A→B1→B2」の傍らに、「ディスクールの定義」をおいてみよう。それはこういうものだった*2

  • 【C】言説:「おなじ」言説編成に属する限りにおける諸言表の一総体



【B2】+【C】でもって <エノンセ/エノンシアシオン>と<エノンセ/ディスクール>の関係づけができた、としよう。だが、これによって同時に、「問題」の所在もクリアになる。



つまり──こう↓いえるはずだし、また言葉遣いをさておけば これ↓はフーコーその人に帰してよいはずの言明であるつもりで書くのだが──

  • 【D】或るエノンシアシオンが 如何なるエノンシアシオンであるかは、それが如何なる エノンセの系serie との関連relevanceのもとで生じるかによってきまる。

したがって、結局、<エノンセ/エノンシアシオン>という区別は、<エノンセ/ディスクール>という区別に──上記のような仕方で──差し戻されるのである。


だから?
だから──当初の疑問は「<エノンセ/エノンシアシオン>の区別とは如何なるものか」だったのだが、いまや/やはり──、疑問(の出所)は<エノンセ/ディスクール>の区別(のほう)にあるのだ、ということが確認されることになる。贅言すれば、当初の疑問は、次の疑問に変換される。つまり:

  • 【Q1】エノンセおよびエノンセの系が「おなじ」と(か「ちがう」とか)いうことを、どうやっていえるのか

という疑問、言い換えると、

  • 【Q2】或るエノンセが、或る「エノンセの系」に属する、ということを どうやって/何を以ていえるのか。

という疑問に変換される。そして、それはつまるところ、

  • あからさまに循環的な定義となっている【C】を、フーコーが、そこからさらに どのように規定・展開し(ようとし)ているのか

ということに帰着する。そして私には、それがわからない──ということなのだった。

規定【C】について語る際、フーコーは、「帰属」と「規則性」という二つの術語を用いるが、この併用には残念ながら意味がない。なぜならその使い分けが「言い換え」にはなっていないからである。
或るエノンセがある言説に帰属していることを、規則性という言葉で表現しているのだから。
そのような仕方で「帰属性」と「規則性」は正確に同義なのであり、そうであるからには、この二つの言葉の(表面上の)使い分けは 単に議論をリダンダントにしているだけである。
問われるべきなのは、まさにその「帰属」(あるいは規則性)の「如何にして」なのだった。


──問いの(再)定式化:

  • 【Q3】或る文、或る表現、或るエノンシアシオンについて、我々は、如何にして、「それが、或るディスクールに-帰属する-或るエノンセで-ある」ことを定めることができるのか?



そして──。


(特殊)社会システム論では*3、これを「システム・リファレンス」問題*4 といいます♪





残念ながら/てことで。
『知の考古学』周辺数年のテクストを読む限りでは、フーコは、この問い【Q】に 明確な答え(あるいは研究実践上の指針)を与えることができていないようだし、そろそろ俺様規定臨界回数*5に近づいて来たこともあるので、ここで一旦『考古学』再読は糸冬了することにします。
この先の方針としてありうるのは二つ。

  • 一つは、『考古学』以降の発言を追ってみる。
  • もう一つは、──フーコー自身による「理論的定式化」(『知の考古学』)ではなく──、「実際になされた作業」(考古学3部作)のほうをみてみる。

どちらにしようかな。

*1:それが「語られたものごと」である限りにおいて。

*2:再び記憶に基づく引用。

*3:© 宮台、c鈴木 et al.

*4:「どのシステムについて記述しているのか」を示すこと。またそれを如何にして示すか、という問題。

*5:20回。