ハーシュマン邦訳isbn:4588001655。こっちが届いたのでぱらぱらする夕食前半。
- 作者: 矢野修一
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2004/10
- メディア: 単行本
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4章に解説があったので、とりあえず そこをちょっと詳しく読んでみた。
かつて単なる*「社会思想史」の本として読んでしまっていた ハーシュマンの『情念と利益』(1977)であるが、これはそもそも 開発経済学をめぐる論争的コンテクストの中で書かれた本なのだそうである。
なにしろ かの有名な*アマルティア・センのいわゆる entitlement とか capabilities とかの話(1983)は、ハーシュマンの「開発経済学、終わったな」(大意)という論文(1981)に対する反論のなかで出てきたものだったとのこと [上掲書 p.142-3]。
で。
「開発経済学における利益主導主義ってどうよ?」──というか、「そもそも市場主義と利益との関係って?」というか、「そもそも利益ってなに?」 ──という問題関心のなかで、市場主義の理想とその挫折を振り返ってみるために、この本は書かれたようなのであった。ここで理想というのは 次のようなもの――「経済の拡張が政治的な帰結をもたらす」という考え方──である:
正しい理性で社会を統治するのではなく、[自己の利益の追求という]より温和な情念 を 有害な情念に対抗させる事で、結果的に社会を安定させる [p.170]
ここまではストレートなのだが、そこから先、次のふたつの事情が絡み合って 話は やや錯綜してくる。
- 「利益」の概念史に二つのステップがある: ひとつは「さまざまな情念」の内の一つだった「利益」が、モンテスキューたちによって特別のご指名を受けて格上げされるステージ。次にそれが、スミスによって 切り縮められるステージ。
- ハーシュマンは 市場を擁護しようとしているが、(モンテスキューたちが夢見た)市場の理想は挫折した、と考えている。
もともとハーシュマンの、市場主義にたいするアンビヴァレンスがこの概念史研究を駆動しているので、その分、議論が複雑になっている、ということのようである。
どこまで理解できているか心もとないが、ともかく理解した限りでまとめてみる。
と思ったけど時間切れなので続きは明日♪