どこまでも(ぇ
昼食&夕食。
「概念使用」という表現で、「語用論」とか「言語哲学」とかを思い浮かべて頂いてしまうと困るので、もうちょっとなんか工夫した方がよいと思います。
- 石井幸夫(2006)「『「社会」への知/現代社会学の理論と方法〈下〉経験知の現在』における赤川論文、中河論文について」
新しい質的探究研究会2006年第1回研究会 テーマセッション「歴史・言説・構築」配布資料
- 「ナイフ」というのが どんなものであるかが わかっている というのは、
- ナイフが どんな場面で・どんなふうに使われるかがわかっており、
- 実践の中で適切に使用できる、ということ。[p.12]
いやあたりまえですがー。でもここからはじめましょう♪
- ナイフというものが いかに運用されるべきものであるかを我々は知っている。
「やり方・使い方」を知っているということ。それが、ナイフをナイフとして知っているということ。- →概念は 活動の適切性を指示・指図している よ。いいかえるとそれはつまり 規範性を帯びている、ということだ*。それがナイフという概念をもっている、ということだよ。
- →概念は 活動の適切性を指示・指図している よ。いいかえるとそれはつまり 規範性を帯びている、ということだ*。
- ナイフの概念は、ナイフを適切に使用して行われる実践的活動の──「〜から〜へ」という径行の──なかで開示されるよ。
- 「ナイフが device である」ということは、我々が それを 誤用したり 乱用・濫用したり 壊したりできる、ということ。
* 「device は規範的である」というのは、その使い方について
ナイフの使い方がわかっていなかったら、それを壊してしまったり、それが壊れているということに 気づくことすらできないよ。
- それが、誤った使い方だ とわかったり
- それが、ナイフの乱れた・濫れた使い方だ とわかったり
- それが、ナイフ──やその対象、ナイフを使ってやろうとしていた活動(の意味)──を壊してしまう ような使いかただ とわかったりする
ナイフの使い方がわかっていなかったら、それを壊してしまったり、それが壊れているということに 気づくことすらできないよ。
ええと....。これを「規範」と「開示」という言葉を使わずにもう一歩敷衍します。[←課題]
目下の話題には関係ないですが。
実際に語られたこと〔-の集積〕 | (実際に語られたこと-に-レリヴァントなもの-の)可能性空間 | 語られうることの総体 |
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言表 enonce〔-corpus〕 | archive - 言説 discours | [ラング] |
というフーコーのトリアーデが、
(事実的な)行為〜コミュニケーション operation | 社会的システム[のシステム構造] | 可能性の総体 |
というルーマンのトリアーデとパラレルなのは見易いところですな。
このパラレリスムからもう一歩先に進むためには、
- ルール
- ルールが 張り出す位相空間
- ルールのもとで繰り出される差し手
それはさておき、「概念-記述 → 記述の記述」という書き方だと「描写主義/言語主義」的な読解を許して──というか呼び込んで──しまうので、いきなり「実践のデバイス」のほうから始めて「記述のデバイス」へと至る、...という手もあるのではないか、と。ちょっと思っても見たり。