ナビ準備は続くよ

どこまでも(ぇ


昼食&夕食。

「概念使用」という表現で、「語用論」とか「言語哲学」とかを思い浮かべて頂いてしまうと困るので、もうちょっとなんか工夫した方がよいと思います。



  • 「ナイフ」というのが どんなものであるかが わかっている というのは、
    • ナイフが どんな場面で・どんなふうに使われるかがわかっており、
    • 実践の中で適切に使用できる、ということ。[p.12]

いやあたりまえですがー。でもここからはじめましょう♪

  • ナイフというものが いかに運用されるべきものであるかを我々は知っている。
    「やり方・使い方」を知っているということ。それが、ナイフをナイフとして知っているということ。
    • →概念は 活動の適切性を指示・指図している よ。いいかえるとそれはつまり 規範性を帯びている、ということだ*。
      それがナイフという概念をもっている、ということだよ。
  • ナイフの概念は、ナイフを適切に使用して行われる実践的活動の──「〜から〜へ」という径行の──なかで開示されるよ。
  • 「ナイフが device である」ということは、我々が それを 誤用したり 乱用・濫用したり 壊したりできる、ということ。
* 「device は規範的である」というのは、その使い方について
  • それが、誤った使い方だ とわかったり
  • それが、ナイフの乱れた・濫れた使い方だ とわかったり
  • それが、ナイフ──やその対象、ナイフを使ってやろうとしていた活動(の意味)──を壊してしまう ような使いかただ とわかったりする
、ということ。逆にいえば、そこで「わかっている」当のものこそが「ナイフの概念」だ。
ナイフの使い方がわかっていなかったら、それを壊してしまったり、それが壊れているということに 気づくことすらできないよ。


ええと....。これを「規範」と「開示」という言葉を使わずにもう一歩敷衍します。[←課題]



目下の話題には関係ないですが。

実際に語られたこと〔-の集積〕 (実際に語られたこと-に-レリヴァントなもの-の)可能性空 語られうることの総体
言表 enonce〔-corpus〕 archive - 言説 discours [ラング]

というフーコーのトリアーデが、

(事実的な)行為〜コミュニケーション operation 社会的システム[のシステム構造] 可能性の総体

というルーマンのトリアーデとパラレルなのは見易いところですな。

このパラレリスムからもう一歩先に進むためには、
  • ルール
  • ルールが 張り出す位相空間
  • ルールのもとで繰り出される差し手
の間の関係を明確にしないといけません。


それはさておき、「概念-記述 → 記述の記述」という書き方だと「描写主義/言語主義」的な読解を許して──というか呼び込んで──しまうので、いきなり「実践のデバイス」のほうから始めて「記述のデバイス」へと至る、...という手もあるのではないか、と。ちょっと思っても見たり。

やぁ。これはあれだ。
ウィトゲンシュタイン方面から攻めるかハイデガー方面から攻めるかの違いかもしれんね。
だったら得意なほうで...