ルーマン『社会の法』:正義・決定の一貫性・冗長性

つづき。
asin:458800767X / ISBN:9784588007682 / http://socio-logic.jp/baba/preview/recht.php

承前
  • [p.12f.] 第1章「法理論はどこから出発すべきか」

前出 http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090507#p2

 今日、法理論と呼ばれているものは 徹頭徹尾、法システムの自己記述とのかかわりのなかで成立したものである。[...] [これには、狭い意味での法理論と法システムの反省理論とがあるが、]前者は、個々の事例に即した実務のなかから生まれたものであり、実務の規則をより一般化可能な視点と──たとえば信頼保護の原則と──結びつけようとする。[...] こうした実務から なかば自然発生的に生じてくる傾向を ひとつの規範的命令として定式化しようとすれば、それは結局、一貫した判決への要求へと行き着くことになる。そしてその要求を、外的影響力の排除(《何人であろうと等しく》) として、あるいは法に内在する規範としての正義(等しきものは等しく扱え)として、定式化することもできるだろう。いうまでもなくこれらの基準は、さらに特定化される必要がある。[...] そのためには様々な概念と理論の助力が必要になる。

たとえば、因果帰責の条件を確定するために、行為の主観的構成要素(故意、過失)を認定するために、あるいは契約の締結ないし履行の際に生じる過疵のさまざまなかたちを区別するために、である。

法の外から見れば、理論がこのような線に沿って展開される際に用いられる素材の総体からは、合理的であると同時に混沌としている、との印象を受けることになるだろうが。[.p.11-12]
 さしあたっては、一貫性の問題とは情報の冗長性の問題に他ならない、といっておいていいだろう。論理的一貫性や明白な無矛盾性が求められているわけではない。むしろ重要なのは、ある情報によって、さらなる情報の必要性が縮減される、ということなのである。

一貫性によって、判決(法的決定)の不意打ち効果が少なくなる。つまり、どのような判決が導かれるかに関する情報が要約され、計算可能性が高められるのである。[...] ちょうど、発見された骨を分析することで、その動物がどんな種に属していたのかを突き止めうるように、である。[p.12]
  • [p.283] 第6章「法の進化」

冗長性=伝承。再利用可能性。

[...] 進化の成果を保持していくためには、消え去ってゆく問題に対して、伝承可能な(冗長性をもつ redundant)解決範例を与えてやらなければならない。つまり、変異生と安定性を結合できなければならない。

  • [p.302] 第6章「法の進化」

[...] 法の進化の形式が変化するきっかけとなったのは、19世紀と20世紀において 大量の立法が試みられたことだと考えることが出来るだろう。これは、政治システムの民主化と、また政治が立法へ影響をあたえる道筋を憲法によって切り開いたことと、密接に関連している。政治は、常にあらたな指令を大量に発することによって、法システムの内部に激震を引き起こす。[p.300]
 このような事情のもとでは、法の進化は解釈に依拠せざるを得ない。解釈によって、一貫性のテストが行われる。解釈は、ある規範をどのように理解すれば、他の規範のコンテクストに適合するかを吟味するからである。だが今や法律は、18世紀・19世紀における法典化の偉業の場合とは異なって、たいていの場合一貫性になど関心をもちはしない。むしろ司法のほうが、より大きな解釈の自由を与えてくれる。しかし司法がもつその自由も、次々と与えられるほうテクストと相対する場合には、一貫性を再び獲得するためにはほとんど役に立たない。[...] だから法解釈方法論は、個々の事例に関する判決を根拠づけるという点については、ほとんど意義を持ってこなかったのである(...)。[...] [p.301]

[このような状況では もはや「法の統一性」など維持できないと考え、「多元主義的な法」という概念を持ち出す論者もいる。しかし「法の統一性」の]解答は、法のテクストを継続的に産出することのうちにある。何が法として妥当し 何がそうでないかを、そのつど認識できるようなテクストの産出に、である。したがって、システムの《理性》は、原理によって確証される善性のうちにあるのではないことにもなる。重要なのはむしろ、いかなる状況においても、「現行の法は、問題となっている点に関して、変更されるべきか否か」という問いを立てうる、ということなのである。したがって、法の妥当は統一性にではなく、差異に依拠していることになる。法の妥当は、目に見えず、また《発見》されうるようなものではない。妥当は、継続的な再生産のうちにあるからである。[p.304]

  • [p.314f] 第6章「法の進化」

[...] [複雑性の増大に面して、]法システムは、事案に関する決定の一貫性(冗長性)を厳格に要求することを放棄しなければならない。あるいは、より高度な変異性と両立可能な形式を見いださなければならない。[...]

  • この連関を規制するためのの重要な方策としてこれまでずっと用いられてきたのは、裁判に訴えるか否かの決定を当事者に委ねるということであった。
    • ローマ法ではそれに加えて、裁判にかなう訴権(actio)の数と種類が限定されてもいた。
  • あらゆる権利要求に関する提訴可能性(これは19世紀の概念である!)が確立され、私的意思が法にとって意味を持つということが広く承認されるようになって初めて、法は近代社会の要求に適応することができたのである。
    • 私的意思が権利を規定する根拠と見なされている限り、一貫性への(正義への、といってもよい)配慮を放棄できると考えられていたのである。
  • これに対する抗議からは、今度は 政治的圧力と、自由を制限する法規があまりにも多すぎる という事態が生じてくる。労働法や社会政策的な立法のことを考えてみるだけで十分だろう。
    しかしその結果として、無数の個別法規の間の一貫性が問題として立ち現れてくることになった。そしてこのような条件のもとで再度 冗長性を獲得するためには、どんな形式を用いればいいのかを十分に試してみないうちに、
  • 新たな問題が登場してきたのである。それはすなわち、関与する個々人が、公共財に対する利害関心に従って《民衆訴訟》を起こす、という問題である。
    • 特に、エコロジー問題の効果的な取り扱いへの関心が焦点となっているのである。[p.314-315]

オートポイエティック・システムの進化によって示されるのは、そのシステムが所与の環境に適応した、ということではない。明らかになるのは、複雑な秩序が構築されうる空間が、オートポイエーシスによって切り開かれた、ということなのである。[p.318]

  • 第8章「法的論証」

[略]id:contractio:20090509#p1 / id:contractio:20090515#p1

18世紀末ごろになって初めて、しかもヨーロッパの辺境部、すなわち北アメリカにおいて、法システムと政治システムが新たな様式において構造的にカップリングされることを保証する形式が登場してくることになった。それはすなわち、以後《憲法》と呼ばれるようになったものである69。[p.608]

法システムのほうも、政治のイニシアティブに直面する。それを、立法手続・行政手続・司法(憲法裁判所における司法を含む)手続において、絶えず処理していかなければならないのである。かくして、誰の目にも明らかなように、裁判における判決と きわめてゆるやかに発展していく法解釈学によって一貫性をテストしていくという伝統的な形式は、変形を被ることになる。この秩序は憲法解釈によって補完される。前者は後者によって媒介されるのである。そして憲法解釈は、《根本価値》あるいは(アメリカの場合なら)道徳的直感によって行われる。したがって、事例ごとに価値衡量が変化していく余地があるわけだ。法の条文は一見したところ確固たる秩序をもつように思われるが、流動的で・常に暫定的なものでしかない裁判上の衡量によって 制御されているのである。つまり、相対的に安定したものが、原理的に不安定なものによって制御されているわけだ。先に導入したターミノロジーを用いれば、こうも言えるだろう。システムの変異性が増大し、冗長性の維持が問題となってくるのだ、と。そのための新しい形式を試してみなければならなくなる。たとえば〔比較〕衡量条項に従うという形で、である。[p.618]

  • [p.634f.]

[略]