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■『法システムと法解釈学』
ドグマティークの積極的機能は、
- 拒否の禁止[=批判の禁止・否定可能性の否定]のアレンジの仕方をとおして、
- テキストと経験を十分活用して、
柔軟性を必要な水準にまでもたらすことである。[p.13]
出版大事。
『社会の法〈2〉 (叢書・ウニベルシタス)』「法的論証」の章も「テクスト論」でした(この章は、たしか「裁判」の章よりも長いのだった。なのでたぶん、この本のなかでも重要な章なのでしょう)。
まぁ直感的には、法解釈学に対して「反省の役割を担え!」と要求することはありえても(実際本書でルーマンはそのような「規範的」主張を隠し持っているように読めるが)、法的論証に対してそうする というのはちょっと考えにくい気がする。(これはあとで『社会の法』と『法学辞典』を確認する。)
[...] ドグマティークは 法律家の いわばこの[考察・根拠・関係の衡量の積み重ねの組織化という]場面配置行動を制御する。しかしながら、この機能を指揮し、限定し、これを評価可能にするコンテクストに関する十分な明瞭性が欠けている。それは、歴史であろうか、社会であろうか、学であろうか。[p.13]
というのが研究課題の最初の定式。
■『社会の法』第1章「法理論はどこから出発すべきか」
さしあたっては、一貫性の問題とは情報の冗長性の問題に他ならない、といっておいていいだろう。論理的一貫性や明白な無矛盾性が求められているわけではない。むしろ重要なのは、ある情報によって、さらなる情報の必要性が縮減される、ということなのである。
一貫性によって、判決(法的決定)の不意打ち効果が少なくなる。つまり、どのような判決が導かれるかに関する情報が要約され、計算可能性が高められるのである。[...] ちょうど、発見された骨を分析することで、その動物がどんな種に属していたのかを突き止めうるように、である。冗長性は、われわれが生活の中で経験する事態や、法律事例がもつ多様性と衝突せざるを得ない。法システムの観察対象となる事態が多様なかたちを取るようになるにつれて、十分な一貫性を維持することはますます困難になる。旧来の法が高度に形式的なものに留まっていたのは、まさにこの理由による。さらに、《主観性構成要件》、《動機》、《意図》といった要素が追加されれば、〔一貫性の〕コントロールに関する概念自体が修正を迫られざるを得なくなる。また、従来よりも間接的な証拠を容認するかたちで訴訟手続きを構成しようとする場合にも(...)、同じことがいえる。そもそも、法みずからが立証要件について配慮しなければならない(...)という事態は、歴史的に見るならば、けっして自明のことではなかった。[...] こうした事態が初めて出現したのは、12世紀のことであった22。そしてそれは中世以降、大きな成果を挙げつつ発展を続けてきた。しかし同時に、ますます確実性を喪失してゆくという代価も払うこととなった。この確実性の喪失に対して、予防策としての法学は、決定の問題を先取りすることによって応えなければならなかったのである。
[...] ここでは、この種の理論展開から生じる帰結の概要を一瞥するに留めておこう。結果として、数多くの法理論(Rechtstheorien)がもたらされた。しかし、法の理論(Theorie des Rechts)は生まれなかった。すなわち、結果としてたような理論がもたらされたが、それは法の法としての自己描写ではなかったのである。 この状況の中でも、実務における一貫性の必要(冗長性の必要)を考慮することはもちろん可能であった。ただし、考慮するための基礎は《ドグマティック》に与えられる、あるいはそれが前提とされるしかなかった。つまり、分析を免れた中傷物を用いなければならなかったのである。
- 問題ごとに特殊化された理論の中に、カズイスティクが写し取られた論点を組み入れることは出来たが、
- みずからを産出する統一性としての法を適切に理解することはできなかった。
このように述べたからといって、これまでの理論の展開やその合理性のレベルについての批判を意図しているのではない。それどころか今日では、こうした 専門的観点からは合理的だとされる情報処理 がはらむ欠陥が 周知のところとなっているといってもいいはずである23。いずれにせよここでは、合理性をめぐる問題関心の転換をはかっているわけではない。ただ、
「いかにして法を統一性として把握しうるのか」と問いたいだけである。そのためにシステム理論という道具を用いてみることにしよう。法の統一性をシステムとして定義することによっていかなる事態が生じるかを探ってみよう というわけである。[p.12-14]
- 22 Harold Berman, Recht und Revolution. Die Bildung der westlichen Rechtstradition.[Law and Revolution, I: The Formation of the Western Legal Tradition] を参照。[...]
- 23 Niklas Luhmann, Rechtssystem und Rechtsdogmatik.
分析されるべきことがらを、別分野(この↑場合は情報理論)のジャーゴンで「言い換え」るだけで済ませてしまうルーマン萎え。
ルーマンの議論の評価の難しさは、こういうところにもあるとおもう。