涜書:Harold Berman 『Law and Revolution』

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)』第2章注(38)。承前:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20080808

Law and Revolution, I: The Formation of the Western Legal Tradition

Law and Revolution, I: The Formation of the Western Legal Tradition

全14+1章600頁超。──のうち、序論と結論読んだ。いや〜、これ勉強になるわ。
これを読むに、ローマ法と教皇革命を重視するルーマンは、おおむね バーマンのヴィジョンの枠内で議論を進めておるように見えますな。


以下、引用はおおむね前掲宮島訳に依る。

序論

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結論

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付論──マルクスウェーバーについて

冒頭。

... 本書では ふつう近代とは相容れないとされている封建時代に近代が始まるとしてきたし、封建法と荘園法は商人法・都市法・王国法と対立すると考えるのが通説だが この本では補完的な関係にあるとしてきた。西欧に特有の法制度は聖俗分離に始まるとしてきたし、西欧最初の近代的な法制度は教会法であるとしてきた。こうした主張は西欧の歴史に関わるだけでなく、歴史そのものをどう考えるかという問題にも関わってくることである。そこで最後に、西欧の法制度に対する理解を妨げていると思われる[マルクスウェーバー、そして人類学的な]歴史理論について論じておくことにする。
 ふつう西欧の歴史は三分法に従って、古代・中世・近代と三つに区分される。西欧の歴史は西欧各国の歴史に区分され、中世は近代を準備しただけの時代だと考えられている。しかし重要なのは15-16世紀のルネサンスではなくて11-12世紀のルネサンスであり、西欧が大きな転換を経験したのは11-12世紀なのである。[p.538]

マルクスの項、略。

 以上のように理論には問題があるにしても、ウェーバーの西欧法制史に関する知識の豊富さには驚かされる。この本で扱ってきたテーマを裏付けるような指摘も多い。たとえば、

  • 11世紀末から12世紀初めの叙任権闘争政教分離を可能にしたこと
  • 12世紀に登場してきた教会法が西欧最初の近代的な法制度であること
  • 12世紀以降に登場してきた都市が 都市民に権利を認めているのは西欧だけの特徴であること

などである。このように正しい指摘をしておきながら、ウェーバーが到達した結論は間違っている。つまり、「16世紀に中世が終わって近代が始まり、封建制が資本制に変わった」とか、また──マルクスとおなじように──「近代の法制度はブルジョワジーのための法制度であって資本制社会に適したものだ」という。[p.550]

 ウェーバーは西欧の法制度が他の文化圏にはない特徴をもっている理由を 政治理論──それも、政治の本質が支配にあり、支配の本質は強制力であるとする彼の理論──で説明している。法制度に違いを生み出すのは「政治権力のあり方の違いである」と彼は考えていた。また文化圏のあいだに見られる法律の専門家の役割の違いも、彼は「政治的な要因に依存するところが大きい」としている。彼のいう「政治的要因」とは「政治的権力」のことなのであるが。
 このように、ウェーバーマルクスとおなじように伝統的な政治・経済史学に忠実であった。ただ彼はマルクスと違って、経済がではなく究極的には政治──支配と強制力──がすべてを決めると考えたのである。 [p.551-552]

このあたりを↑念頭に置きながら、ソーンヒル現代ドイツの政治思想家―ウェーバーからルーマンまで』の主張について考えてみると面白いですな。

この本でルーマンは「社会の本質を政治に見ない」──「政治」に社会における中心的な位置を与えていない──という理由で「例外扱い」されていたわけですが。
「見る」ほうがヘン──政治学のウアドクサ──だ、というふうには政治学な皆さんは考えないのでしょうかな。
いや、ウアドクサだから考えないのか...。
門外漢的には、そこがなんともおもしろおかしいです。というか。ヘンでしょそれ♪
  • 教皇革命のあと始まった教会と世俗の支配者間の「競争と協力」は、すでに 大衆とエリート──つまり農民と支配者──のあいだに密接な関係がなければ不可能であった。
  • 教皇カトリック教会に対して確立した支配権も、大衆レベルで「信仰共同体 populus chiristianus」が存在していることが前提となっていた。
  • 法制度の体系化が可能になったのも、すでに様々な形の制度が事実上存在していたからである。
    • たとえば、体系化された封建法の登場は、それ以前に封土を介した領主と臣下の関係が存在していたからこそ可能となったのだし、荘園法が登場するためには、その前提条件として領主と農民の間に農民反乱を介した密接な関係が存在していなければならない。[...] 地位が低い者も、上位の者から納得できる権利や義務を交渉で勝ち取っていたのである。

法律の専門家が登場してきて法制度が体系化され、「法の支配」が確立する以前から、すでにこのようなことが事実上おこなわれていたのである。[p.555-556]

このあたり↑は「前適応的アドバンス」というやつですな。