稲葉振一郎(2018) 『「新自由主義」の妖怪:資本主義史論の試み』

学会報告の準備。
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亜紀書房 - 「新自由主義」の妖怪 資本主義史論の試み

第1章 マルクス主義の亡霊

  • [044] 「それでも、マルクスによる貢献ではなく、マルクスフレームワークからはずれる歴史的展開を、マルクスフレームワークの核心を崩さない形で説明しようという後続世代のレーニンヒルファディング、あるいはローザ・ルクセンブルクらの貢献、資本主義の中での発展段階論は、マルクス本来の総合社会科学的なアプローチの継承と相まって、二〇世紀社会科学の虚の中心ともいうべきものを形成したといってよいでしょう。」
  • [054] ローザ・ルクセンブルク フォーマット 「資本主義は外部なしではやっていけないが、その外部を自ら掘り崩す形でしかやっていけない。それゆえいずれは行き詰まる」
  • [073] から講座派/労農派。
  • [074] 「それゆえ、たとえば講座派の流れをくむ論者が、戦後日本企業の特徴として指摘され始めた「終身雇用」「年功賃金」「企業別組合」の「三種の神器」からなる「日本的経営」について「封建遺制」「身分制の残存」「欧米に対する日本資本主義の遅れ」とみなしがちだったのに対して、宇野派の影響を受けた論者たちは「日本的経営」を帝国主義、独占資本主義段階においてはむしろ正常な企業の在り方とみなし、そこから欧米の企業の在り方を逆照射するようになりました。」
  • [077] 「二重構造」についての見解の相違
    • 労農派系:大企業セクターを独占資本とみなし、中小企業セクターを自由主義段階の生き残りであり、かつ大企業セクターにおける価格メカニズムの不全をフォローするバッファの役割を押しつけられたものとみなす
    • 講座派系:大企業セクターを先進資本主義セクター、中小企業セクターを農村とつながり、古い共同体的性格を残した在来セクターとみなす
      後者は、戦後の開発経済学・応用経済学的「二重経済論」と同型。
  • [093] 古典的なマルクス主義における「こうしたオーソドックスな市場メカニズム観と国家観の組み合わせにおいては、政府による権力支配、行政管理については論じられていても、通常の意味での、つまり公共的意思決定としての「政治」については論じられていない、とさえいえます。」
  • [102] マルクス主義にとっての福祉国家
    「もともと資本主義それ自体が不安定で、失業を避けることができず、独占資本主義化して停滞し、長期的には行き詰まらざるをえないものです。このような立場からすれば、ケインズ主義的福祉国家なるものは、危機を先送りにする一時しのぎでしかありません。抜本的な危機の克服は、社会主義への移行によってしか可能ではない、というわけです。」
  • [102] 新自由主義にとっての福祉国家
    福祉国家社会主義全体主義への滑りやすい坂の上にあるものでしかなく、その発展は自由競争を歪め、経済を停滞させます。しかしながらその克服は社会主義への移行によって成し遂げられるわけではありません。社会主義の下では政治的自由が消滅するのはむろんのこと、経済もより一層停滞して奈落の底に落ちてしまいます。危機の克服は滑りやすい坂から降りること、本来の資本主義、自由市場経済に可能な限り復帰すること、となります。」
  • [102] まとめ
    マルクス主義の場合には、問題は資本主義そのものにあり、福祉国家はその問題への抜本的解決ではなく対症療法にすぎないものとして批判されます。それに対して「新自由主義」の枠組みにおいては、福祉国家こそが問題なのです。」

第2章 ケインズ復興から見えるもう一つの経済史

2-1 ケインズ主義とは何か

  • [122] ケインズの仕事を、一九二九年の世界恐慌に引き続いた大不況とその克服という観点からのみ見てはいけません。のちに「ケインズ政策」と呼ばれるような機動的政策に各国が“なかなか移れなかったのは、実は「金本位幻想」ともいうべき国際経済秩序観から、各国の政策担当者がなかなか脱却できなかったからです。」

2-2 発展段階論を超えて、経済史理解の転換へ

第3章 「保守本流」思想としての産業社会論

3-1 戦後保守主義社会民主主義の屋台骨としての産業社会論

  • [250] すごいまとめきた。
    「今日のいわゆる「新自由主義」と呼ばれる諸潮流の社会科学的なバックボーンが新古典派経済学だとすれば、「産業社会論」のそれはあえていえば社会学です。そしてまたそれは、マルクス主義を主たる仮想敵とする思想体系です。「新自由主義」、ないしはそれが復権しようとする一九世紀的な自由主義については、それほど意に介してはいません。」
  • [250] 「簡単にいうと、「産業社会論」の主導者の多くは二〇世紀後半、冷戦時代における西側の保守主義に対して、きちんとした社会科学的な裏づけを与えようとした人々です。代表的な論客としては、たとえばフランスでは社会学者であり、保守論客として鳴らしたレイモン・アロンを、またアメリカでは旧制度派経済学の流れをくむ労使関係研究者で、大学行政マンとしても著名なクラーク・カーの名を挙げることができます。経営学者のピーター・ドラッカーの名も逸することはできません。大体において彼ら/彼女らは、マルクス主義の挑戦に対して西側の自由主義、つまりは自由市場体制、資本主義と議会制民主主義を守ろうとした人々です。その意味では、政治的、イデオロギー的にマルクス主義的左翼より「新自由主義者」たちに近いということになります。しかしながら産業社会論にコミットした人々は、マルクス主義と戦う道具としては、「新自由主義者」たちの社会科学的道具立ては貧困である、と考えました乱暴にいえば、それは一九世紀的で時代遅れであり、マルクス主義社会科学の包括性に対して劣っている、と評価していたわけです。産業社会論とは、マルクス主義に匹敵する別の総合的社会科学の体系を作ろうという試みです。」
  • [251] 「産業社会(industrial society)」という言葉は、ここではマルクス主義的な意味での「資本主義(社会)capitalism」という言葉に対するカウンターとして用いられています。…。あえていえばそれはその上位概念です。…
     あるいはここでむしろ「近代化(理論)modernization (theory)」の語を呼び出した方がよいかもしれません。「産業社会」「産業主義」といった術語がすっかり古びてしまったのに比べると、「近代化」の方は日常語としても社会科学用語としてもまだ現役ですが、幾分意味合いは変わってきています。
     そこで極力この時代の「近代化(理論)」の語感を復元してみましょう。そうするとやはりこれはマルクス主義の批判、そのオルタナティヴの提示を眼目としていることがわかります。」
  • [258] 「しかし産業社会論の眼目を多元主義にのみ求めると、やはり大きな間違いを犯してしまいます。産業社会論の核心には、多元論と並んでもう一つの、おそらくはもっと重要な柱がありました。それはもちろん「産業(industry)」の概念です。」
  • [258] 「ここでいう industry とは必ずしも工業、製造業のことではなく、サン゠シモンにおける industrie と同様に、産業革命以降の機械制工業経営に典型的に現れたような、科学的知見と合理的な官僚組織に基づく社会編成、そしてその一環としての生産技術、というほどのものです。この産業概念とマルクス主義的な生産力概念とは、それが指示する現実の対象においてはかなりの程度重なり合いますが、意味内容においてはかなりニュアンスを異にします。」

精神分析 vs. 行動主義」みたいな話題がまたここでも。

  • [262] 「産業社会論とは、一見したところマルクス主義の「経済中心主義」を批判する多元主義の様相を呈しつつ、実はむしろ「文化中心主義」と呼んだ方がよいのかもしれません。「具体的にいえば、産業を支える科学技術の発展を可能とする文化についての議論は、ほとんどかのマックス・ウェーバーの「資本主義の精神」論、西洋社会における「合理主義」をめぐる議論の継承として成り立っていました。つまりは、…」
  • [264] 「そして西洋マルクス主義者たちと産業社会論者たちとの論争の構図は、二〇世紀前半における正統派マルクス主義者たちと社会民主主義者・自由主義者たちとの間のそれと比べたとき、意外なほどに変わっていません。」
  • [270] 「しかし、このような産業社会論の影響力が保ったのは、いいところ一九八〇年代一杯です(その系論ともいうべき「新しい社会運動」論はもう少し生き延びますが)。ご承知の通り、七〇年代のスタグフレーション下での「福祉国家の危機」「納税者の反乱」の中で「新自由主義」諸潮流の影響が強まり、コンセンサス・ポリティックスを退けて強いリーダーシップで「小さな政府」を目指す潮流が保守主義の中で影響力を増し、「新保守主義」と呼ばれるようになります。」
  • [271] 「しかしながら、産業社会論の「失敗」の理由の内在的解明はまだ十分には行われていません。」
  • [270] 「外在的に見れば、「新自由主義」の台頭や社会主義の崩壊といった時流に鑑み、少なくとも後知恵的にはむしろ自明にさえ思えるのですが、それにしてもなぜそうした時流に十分に抵抗できなかったのだろうか、という疑問も湧きます。」
  • [271] 結論の予告1
    「この問題につき私が念頭に置いている仮説は「産業社会論のみならず、七〇年代、ひょっとしたら八〇年代頃までの社会科学の大勢としては、技術革新というファクターを社会科学的に内生変数化することがうまくできず、それゆえに技術革新の現実を見誤っていたのではないか」というものです。」

3-2 村上泰亮の蹉跌

  • 1975 産業社会の病理
    1979 文明としてのイエ社会
    1984 新中間大衆の時代
    1992 反古典の政治経済学
    1993 死去
  • 296 結論の予告2
    「そして、後知恵になってしまいますが、「新制度派」以降の現代的な政治経済学の枠組みと、この村上らの「イエ社会」論、のみならずより広くここまで「産業社会論」「近代化論」と呼んできたものとの間に存する微妙だが重要な違いが、「産業社会論」「近代化論」の失敗──つまりは「収斂理論」の予想の失敗、更にいわゆる「新自由主義」的潮流の台頭による「保守本流」の地位の喪失──を理解する際のポイントとなるのです。」

第4章 冷戦崩壊後の世界秩序と「新自由主義」という妖怪