『概念分析の社会学』(ISBN:9784779503146 ナカニシヤ出版)発売に向けて 書籍紹介ページを製作するスレ。
本日は、酒井執筆の「おわりに」を掲載しましたよ。
『概念分析の社会学──社会的経験と人間の科学』 紹介ページ
各章読解のための補助線を引いたり若干の楽屋裏紹介をしたりしております。
末尾注につけたルーマン(およびルーマニ屋)へのコメントについては、異論のありうるところでしょうな。
これについてはいつかそのうち「追記」を書く.... かも知れません。
最初にいただいたのは「そろそろルーマンについて考えをまとめてみては?」というお誘いだった。この点について──紙幅の制約のために憶言的にはなってしまうが──すこし釈明しておく。私は、ルーマン研究の現状の水準に鑑みて 本書のような研究論文集を編むことは不可能だと判断した。しかしまた私は、いただいたリクエストには──固有名や流儀流派ではなく──準拠問題(への取り組み)という観点からいうなら、本論文集でもって応えたつもりでいる。
一方で。ルーマンが30年をかけて取り組んだ課題を私なりに要約するなら
ということになるが、本書が取り組んだのは まさにこうした課題なのである。ルーマン自身は、この課題に対して
- 社会秩序それぞれを、自己構成するシステムとして把握すること
- 〈システム研究-と-ゼマンティク研究〉という研究プログラムペア
でもって応えようとしたわけだが、本書の「社会的経験の概念分析」というプロジェクトは、その水準でも比較検討の材料を与えることができているはずである。
これが「リクエストには応えた」という理由。
他方で。ルーマン自身の研究プログラムは 未だなお画餅のままに留まっている。それは、ルーマンとその後継者たちが、ルーマンの様々な着想を 経験的なマテリアルのなかでどのように展開していくのか という問いに正面から取り組んではこなかったからだろう。そのせいで、研究のなかで天下り的に繰り出されてくる諸「テーゼ」たち
- 曰く「現代社会はオートポイエティックに機能分化した諸システムからなり」、
- 曰く「法システムは合法/不法をコミュニケーション・コードとしており」、
- 曰く「経済システムと法システムは所有によって構造的に連結されており」 などなど
が どのような身分をもつものなのか も、そもそもこうした「テーゼ」を どのように検討したらよいのかすらも 不明なまま、なのである。
これが現時点ではエスノメソドロジー論文集出版のほうを優先すべきだと判断した理由。
なおこの点については、出版準備研究会を進めるなかで考察したことの一端を (酒井・小宮 2007) に まとめておいた。
一言だけ追記しておくと。
ここで、
〈社会システム研究-と-ゼマンティク研究〉という研究プログラムペア
という表現で考えているのは、
-
- 或る社会秩序の形成にとって構成的な 知識や観念を手がかりにして、
その社会秩序(たち)を その作り上げられ方に即して研究すること [──社会システム研究] - 或る知識や観念を、
それが用いられている──そして そのことによって作り上げられている──特定の社会秩序(たち)と切り離さずに、研究すること [──ゼマンティク研究]
- 或る社会秩序の形成にとって構成的な 知識や観念を手がかりにして、
というようなことです。
とりあえず ここ↑までのところは、ルーマンも「ごもっとも」なことを言っている。しかし──当然のことながら問題となるのは──それって、実際には・具体的には どういう研究なの? ...という話。ですよね?