涜書:本日の気づき

1 相互作用類としての「子ども」

序章の議論(特にルーマンネタが登場して以降のところ)は、「「子ども」って相互作用類だよね。」と述べれば──「観察」「心的システム」「社会システム」「相互浸透」「構造的カップリング」などの 余計かつ素性の怪しい概念を増やすこと無く──半分に圧縮できるよね。

2 石戸本への言及が無い!!!!
ルーマンの教育システム論

ルーマンの教育システム論

教育現象のシステム論 (教育思想双書)

教育現象のシステム論 (教育思想双書)

リスクとしての教育―システム論的接近 (SEKAISHISO SEMINAR)

リスクとしての教育―システム論的接近 (SEKAISHISO SEMINAR)

    • こっちの論文集への言及はある。

教育人間論のルーマン―人間は“教育”できるのか

教育人間論のルーマン―人間は“教育”できるのか

3 リアリティのアウトソーシング
これ、「子ども」の擬制を言う際に、「経済・法・政治のほうはリアル」というヴィジョンに訴えてることになりませんかね。

〔改行は引用者による]

[...] 現代において「子ども」というフィクションとそれに処遇する学校など制度=場が消し去れないものとして存在しているのは、「子ども」がそれ自体で重要だからでも、社会の鍵だからでもない [...] 。消し去れない最終ラインは、経済、法、政治という領域との関連性における「子ども」のための領域であり、それらの領域で責任主体たれない未成年という擬制のみである。[...] 言い換えれば、現代において、「子ども」と「大人」を分けているのは、しばしば想定されているような

  • 健全に倫理的な判断力や責任能力を備えた「近代的主体」とその準備期間 という区別でもなければ、[...]
  • 秩序に一体化する「国民」とその予備軍という区別でも、
  • 非社会的な「私」と理想の生という区別でも
  • 堕落し誤った存在と未来の社会を実現する存在という区別でもないのである。[p.220]

あとこれ、パーソナリティ(〜アイデンティティ)の堅牢さについての議論と、形式的に同型かもね。

4 〈局所的/全域的〉区別 と 〈相互作用/言説〉区別

「分化」の時間次元が考慮されてない(?)。

おそらくは このことが、「相互行為論的」v.s 「言説分析的」という 対立・対照 を可能にしている。(→あとで検討)
※ご参考:
  • 「全体的」って言えば全体的な話をしていることになるわけではありません。
  • 「局所的」って言えば局所的な話をしていることになるわけではありません。