@knife0125 氏の修論検討(id:contractio:20110220 の続き)。
「相互浸透」の章については、出版数年後の本人による回顧も参照のこと:ルーマン(1987)「社会学的概念としてのオートポイエーシス」
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論文の内容に関してはメールにてやりとりをしているので、ブログにはテキスト解釈に関わる論点のみを記す。
まず、この論文がルーマンのテクストから引き出したと称しているテーゼをまとめてみると:
- 【L】社会化は、意識と身体の二つの水準で生じる。
- 【L1】心的システムの「社会化」は、「自明性の高低」を変数として変化する。
- (自明性が高いと「心的システムの」社会化が卓越する。自明性が低いと教育が卓越する。)
- 【L2】身体システムの「社会化」は、個々の社会的な機能システムにとっての前提として扱われ、特化された機能を持たされるときに存在する。
このエントリでは、これらのうちの──【L1】よりも議論が容易な──【L2】(と【L】)についてのみを扱うことにする。
準備作業として、【L2】の参照先である「相互浸透」の章の全体について、論点を抜き出してみた。
『社会システム』第6章「相互浸透」
対象 | 頁数 | 訳者による 節見出し |
登場する論題・テーゼ |
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5 | 1.主題の設定 | 相互浸透概念が扱うのは「人間(Mensch:心的システムと生体システム)-と-社会システム」の関係。 | |
9 | 2.相互浸透概念 |
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[A1] 人間と社会秩序 |
5 | 3.オートポイエーシスと構造 |
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3 | 4.結合概念 | ||
[A2] 人間と人間 (Menschen) |
10 | 5.人と人との相互浸透 | ■親密性 Intimität と恋愛
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[B] | 8+ | 6.二元的図式化と相互浸透 | |
(中間考察) | 9 | 7.道徳と相互浸透 |
ここまでの議論で、→答え: 道徳という二元図式。 |
6+ | 8.社会化と相互浸透 |
社会化理論 が把握し説明しなければならないのは、まず第一に複雑性の縮減と複雑性の相互強化との連関なのである。したがって、その出発点となる問いは、 |
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12 | 9.身体と相互浸透 | ■相互浸透において、殊更に身体に焦点があてられ・特殊な用いられ方をする 幾つかの例についての概観
もっとも古くから知られ、いまもなお見受けられる社会形態においては、身体のこうした[=社会秩序との関係における]利用の仕方の任意性が高く・混合の度合いが高いのが普通であり、ごくわずかな状況においてしか さまざまな利用の仕方のあいだの相互調整がおこなわれていない。こうした状態からの発展は、より少ない任意性とより多くの自由、あるいは より少ない儀式的拘束とより多くの規律化を企図した組み合わせの方向で進んでいる […]83。 [p.396]
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5 | 10.結びにかえて |
以下コメント。
【L2】について
- 著者が、【L2】を引き出すために参照した箇所(6章9節)は、〈機能システム-と-身体〉の間に生じる「共生的メカニズム」について書かれたものなのであって、「社会化」に関わるものではない。したがって、【L2】を「ルーマンの社会化論」のテーゼとして持ち出すことはできない。(←結論1)
- 著者の この誤解は、著者が、「社会化は相互浸透である」という見解から「相互浸透は 社会化 を一般化した概念である」という見解を(誤って)引き出してしまったために生じたものではないかと思う。
- 『社会システム』「相互浸透」について書かれた章の「身体」を論じた部分(6章9節)を扱っておきながら、それに「2.身体の社会化」(p.21-) というタイトルをつけているのは、そういうことなのだろう。
- しかし、上に書き出した「相互浸透」の章で扱われているトピック一覧をみただけでも、「相互浸透」なるタイトルで扱われている論題が多岐にわたることしかも、その中には対立や競合が指摘されているものすら含まれている(ex.道徳-と-友愛・恋愛)ことは容易に理解されるはずである。つまり、「相互浸透とは社会化の別名である」わけではないのである。
- 著者の この誤解は、著者が、「社会化は相互浸透である」という見解から「相互浸透は 社会化 を一般化した概念である」という見解を(誤って)引き出してしまったために生じたものではないかと思う。
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この点を指摘した上で、【L】に戻ると。