借りもの:ウォルター・T・アンダーソン(1983→1998)『エスリンとアメリカの覚醒』

Walter Truett Anderson


  • プロローグ―エスリンとのかかわり
  • 第一章
  • 第二章
    • エスリン研究所」、その場所・地形・構造・歴史
    • 創立者、マイケル・マーフィーの生い立ちと経歴
  • 第三章
    • マーフィーとプライス、「スレート温泉」に移り住み経営を始める
    • アラン・ワッツ、ロッジでセミナーを始める(1961年1月)
  • 第四章
  • 第五章 
    • 第2回「人間可能性」シリーズ(1963年冬~翌春)
    • エスリン研究所の三つの目玉商品、全て1963年にビッグサーにやってくる
  • 第六章
    • エスリン研究所」と命名、多彩なセミナーの展開(1964から65年)
    • エスリンの直面した新しい諸問題
  • 第七章 
    • 「意識変革」に向けてのろしが上がる(1965年)
    • マーフィーとプライス、相違を越えて仕事を分担
  • 第八章
    • 1967年、ヒッピー文化カリフォルニアに起こる
    • エスリン・プログラム、からだの再発見・感覚をひらく
  • 第九章
    • 1960年代末のエスリン、全国に知られる
    • フリッツとシュッツ、その対立と葛藤
  • 第十章
    • エスリンの拡張期始まる(1968年)
    • ヒューマニスティック心理学会の創立
  • 第十一章
    • 1970年のエスリン研究所、ヒューマン・ポテンシャル運動の頂点に立つ
    • 三つのエスリン(①ゲシュタルト ②エンカウンター ③サンフランシスコ・エスリン)
  • 第十二章
  • 第十三章
  • 第十四章
    • 1977年、サンフランシスコ教室の撤退
    • エスリンに対する批判の増大、左翼からも右翼からも、皮肉る映画界
  • 第十五章
    • リチャード・プライス、エスリンの中心人物となる(1977年)
    • ラジニーシの動きまわる瞑想(東洋と西洋の統合)
  • 第十六章
    • 1980年代、落ち着いた時期を迎える
    • 子どもたちのために自然の中の学校「ガゼボ」発足(リーダーマン)
  • エピローグ(1989年追記)

第6章 1965年

  • 102 「パウルティリッヒは、その生涯の最後の年になった1965年にエスリンで週末を過ごした。ティリッヒは、ビッグサーを貫いていた知的運動のなかで確固たる地位を占めていた。1930年代にフランクフルト大学教授時代には、マルチン・ブーバーやフリッツ・パールズの師であったクルト・ゴールドシュタインの友人であった。1933年にニューヨークに来てからはユニオン神学校の教授になり、ロロ・メイの師でありフレデリック・スピーゲルバーグの同僚であった。彼は統合に捧げられた場所・エスリンに相応しいこの世紀の偉大な統合者であった。基本的には神学者であるが、他の神学者が敬遠していた、実存主義社会主義精神分析などの領域をも探求した。プロテスタント神学の偉大な遺産と、20世紀の知的運動との橋渡しをした、偉大な存在感のある力強い老人であった。」