ロジェ・シャルチエ(1989→1992)「表象としての世界」

第一回読書史研究会の参考文献。
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ロジェ・シャルチエ(1988→)「表象としての世界」二宮宏之訳、思想812: 5-24

  • 診断は正しいか
  • 断念の形をとった三つの視点移動
  • テクストの世界・読者の世界:意味の創出
  • 文化の社会史から、社会的なものの文化史へ
  • 集合表象と社会的アイデンティティ
  • 形の持つ意味
  • 権力のかたちと文化的プラテイーク
  • 参考資料:『アナール』編集部アピール「歴史と社会科学──危機的な曲がり角か?」
  • 訳者あとがき

『アナール』編集部アピール「歴史と社会科学──危機的な曲がり角か?」

  • 新しい方法
  • 新たな同盟

ロジェ・シャルチエ『読書と読者:アンシャン・レジーム期フランスにおける』

読書会があると聞いて。
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  • 序文
  • 第一章 規制と創出──祝祭
  • 第二章 差異の創出と文化モデルの普及──礼儀作法と礼儀作法書
  • 第三章 出版戦略と民衆の読書(1530-1660)
  • 第四章 規範と行動──往生の術 1450-1600
  • 第五章 書物から読むことへ──都市における印刷物 1660-1780 [1984 公刊]
    • 書物の私的保有
    • 読書の伝統的慣習
    • 家具と書庫
    • 書物の貸借
    • 公共図書館
    • 閲覧室
    • 貸本屋
    • 焚書から神聖化へ
    • プライベートな読書
    • 媒体としての発話
    • エリートの側──仲間と読む
    • 民衆の私生活における印刷物
    • 印刷物の普及と読書の差別化
  • 第六章 表象と慣習行動──18世紀における農民の読書
  • 付録 夜の集いでの読書──現実か、それとも神話か
  • 第七章 青本
  • 第八章 文学的人物像と社会的経験──「青本」における乞食文学
  • 結論

いただきもの:酒井大輔+宗前清貞編(2021)『日本政治研究事始め:大嶽秀夫オーラル・ヒストリー』

どうもありがとうございます。
本をひらいた1ページ目から大嶽御大による まったく序文に見えない「はじめに」が始まって圧倒されます。
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日本政治研究事始め - 株式会社ナカニシヤ出版

  • はじめに
  • 第一章 政治学との出会い
  • 第二章 東大紛争のなかで
  • 第三章 アメリカに渡って
  • 第四章 日本政治研究の開始
  • 第五章 仙台での生活
  • 第六章 ドイツ留学の決断
  • 第七章 レヴァイアサン・グループ
  • 第八章 京都での日々
  • 第九章 新しい研究へ
  • 第十章 政治学の将来
  • 資料
  • 大嶽秀夫著作目録
  • 大嶽秀夫略歴
  • あとがき

メモ

文献

第2章「東大紛争のなかで」
第3章「アメリカに渡って」
第7章「レヴァイアサン・グループ」
第10章「政治学の将来」

お買いもの:川瀬和也(2021)『全体論と一元論:ヘーゲル哲学体系の核心』

合評会があると聞いて。



第I部 ラディカルな全体論

第II部 経験に開かれた体系

  • 第5章 判断とその根拠
  • 第6章 推論と経験科学
  • 第7章 現象と法則

第III部 生命の一元論

  • 第8章 行為論としての目的論
  • 第9章 外的合目的性と二元論批判
  • 第10章 論理的理念としての生命

ジャック・デリダの脱構築の現在

人文学報 フランス文学, 517(15),1-2 (2021-03-23)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120007030495

特集=ジャック・デリダ脱構築の現在

特集=ジャン・リュック・ナンシーにおける芸術の問い

生物学に対する哲学的抵抗の脱構築カトリーヌ・マラブー

プログラムを読む──デリダによる生物学の脱構築(フランチェスコ・ヴィターレ

デリダ哲学史の問題(エドワード・ベアリング)

1. 概要

1964年の講義「歴史と真理」について。
history of truth を「歴史という真理」って訳す必要ある???

  • リチャード・J. エヴァンズ『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話晃洋書房
    http://www.koyoshobo.co.jp/book/b312770.html
  • なぜ脱構築歴史学者の熱っぽい反応を引き出したのか
    いい質問。
  • 46 「脱構築が歴史理解の中心問題になんらかの仕方で取り組んでいなければ、脱構築がこれほど脅威と映ることはなかっただろう。」
    ごもっともです。
  • テーゼ:脱構築歴史学に取り憑いている
  • 48「ジェンキンズによれば、大文字のHで書かれる〈歴史〉に歴史学者たちは攻撃を集中させるが、それによって、小文字のhで書かれる歴史を批判から保護している」
    これはありそう。
  • 49 「私が提示するのは、1950年代から1960年代初頭にかけてのデリダ初期の哲学的探求はその最も広い輪郭線において 思想史家が直面している問題、つまり 観念は 時間を越えて どのように変化するのか という問題によって動機づけられているということである。」

これ、常識的に考えて「時間を追って」だと思うんだけど、そうではなくて、何か非常識な主張がされているのだろうか。

2. フランスにおける哲学史

3. 歴史と真理

「縮減」なる表現が頻用されているが、原語はなんなのだろうか。

  • 62「デリダが講義で詳述したのも、まさにこうした歴史、つまり哲学的な伝統の内部で変動する歴史と真理の関係を輪郭づけている 真理という歴史 だった。」

やっぱりこれ、「真理の歴史」でよいのでは???

4. 歴史を書く I

知的に洗練されていない感じがしてしまいますね。

5. 歴史を書く II

  • 70
    • テクストの外にはなにも存在しない
    • 歴史から逃れるものはなにもない

ありがとうございました。

  • 72 これはちょっとなに言ってるかわからないですね。
    「『グラマトロジーについて』と後年のテクストのなかでデリダは、確固とした全体を越えでる運動ではなく、シニフィアンのシステムにおける戯れを強調した。したがって、概念の動揺は、概念の変化によっては歴史的に表出されることはない。結局のところ、彼にとって形而上学の歴史は、エクリチュールの抑圧が一貫して存続することを示している。こうした観点からすれば、脱構築的な読解が明らかにしたような、ある哲学体系の内部で働く数々の闘争的な史脈は、必ずしも 歴史学的な文書で演じられる必要はない。」

歴史学的文書」ってなんのこと? 歴史学研究者が使う資料のこと? それとも歴史学研究者が産出する文書(〜研究論文)のこと? さらに他のなにか??

    • しかもここに、こんなヤバい文が続くんですよ。
      「テクストを読み直し、語られておらず、暗示されているものを引きだし、歴史学がとらなかった道のりの可能性を明らかにしたのは歴史学者ではなく、哲学者や文学の研究者だった。こうした脱構築的な企ての変遷は、哲学の歴史的説明そのものを疑う。いまや思想史における語りは、いかなる哲学体系も完全には安定していないということを認識するというより、概念的な展開の固定した道のりで生じる動揺を強いる試みであることになるだろう。」

「紀要にしか書けない!」って感じの主張ですね。

「概念的な展開の固定した道のりで生じる動揺を強いる試み」も何言ってるのかわからないね。

  • 73 こちらも理解が難しい。
    「したがって、脱構築が歴史家を魅了し恐れさせるのは、歴史の力から免れている(過去の)真理を求めて、歴史を書くために歴史学者が自分自身の法を破らざるをえない仕方を、脱構築が診断するからである。」
  • 73 その次の一文は、まぁありうることかとは思いますが。
    歴史学者脱構築的な歴史批判に敏感なのは、脱構築が不気味なほどに歴史学と近しいからなのだ。」


哲学のひと、哲学史の話で歴史についての議論を代用しようとするので、「哲学と歴史学」についての議論は他の人が担当するしかないですねぇ。
「哲学と歴史学」の関係について論じたいなら、「哲学の歴史」と「歴史学の歴史」を比較しないと駄目ですよね。

いただきもの:ダストン&ギャリソン(2007→2021)『客観性』

どうもありがとうございます。
「現代の古典」の待望の邦訳が、すぐれた訳者たちの手によって ついに刊行されました。

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contractio.hateblo.jp


  • ペーパーバック版前書き
  • 初版前書き
  • プロローグ 客観性の衝撃
  • 第1章 眼の認識論
    • 盲目的視覚
    • 集合的経験主義
    • 客観性は新しい
    • 科学的自己の歴史
    • 認識的徳
    • 本書の議論
    • 普段着姿の客観性
  • 第2章 本性への忠誠
  • 第3章 機械的客観性
  • 第4章 科学的自己
  • 第5章 構造的客観性
  • 第6章 訓練された判断
  • 第7章 表象(リプレゼンテーション)から提示(プレゼンテーション)
  • 謝 辞
  • 訳者あとがき

第1章 眼の認識論

  • 16 構想のまとめ
    「本書は、これら三つの認識的徳、すなわち 本性への忠誠客観性訓練された判断 が、おおむね18世紀初頭から20世紀半ばまでの欧米において、いかにして科学アトラスのなかの図像制作に導入されていったかを論じるものである。」

いただきもの:サンスティーン『入門 行動科学と公共政策:ナッジから始まる自由論と幸福論』

私が買わねば誰が買うのかと思っていたらお贈りいただいてしまいました。どうもありがとうございます。


  • 第1章 イントロダクション
  • 第2章 行動科学革命
  • 第3章 自分で選べば幸せになれるのか?
  • 第4章 政 府
  • 第5章 誤 り
  • 第6章 判 断
  • 第7章 理論と実践
  • 第8章 厚 生
  • 第9章 自 由
  • 第10章 進むべき道
  • 訳者あとがき――キャス・サンスティーン「社会厚生主義」構想

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訳者あとがきによると著者は「行動科学」という語を「認知心理学社会心理学行動経済学」の三分野を指すのに使っているとのことで、さしずめ「支那の百科事典*1」の趣がありますな。
 「認知心理学社会心理学行動経済学の三分野を指すために、どうして他ならぬ行動科学なる語が使われるのか」という問いは、おおむね「なぜ認知経済学ではなく行動経済学なる語を使うのか」という問いに還元できるかな(?)