『制度としての基本権』[1965→1989]

制度としての基本権

制度としての基本権

【序】

  • hermeneutischとdogma については、さしあたり『社会の法』訳注[4](下p.412)を参照のこと。ただ『基本権』では、dogmatische は、我々が普通にカタカナ英語で「ドグマティック」と言うときのいみで使っている場合も多いみたい。
    • Dogmatik は、法領域では「(法)解釈学」、宗教領域なら「教義学」の訳語あり。
    • ドグマは、かならずしも「よろしからぬ意味」ばかりをもってるわけじゃないです。(ex. 「分子生物学のセントラル・ドグマ」という言葉に、非難の意味はないように。)

てことで。oeさん曰く:

結局、問題となるのは「ヘルメイノティッシュ:解釈」は何なのかということになるのですが、僕はp9「侵すべからざる価値を持つもの」、「神聖なもの」p30の「永遠の人権」という表現が出てくるのを確認して、それを<基本権を絶対的な価値を持つものとして扱う議論>だと考えてよい=つまり、ドグマは価値から出発する議論である、と思うのですがいかがでしょう。

「ドグマは価値から出発する議論である」というのは──間違っているとはおもいませんが──ちょっと狭過ぎの解釈かも。
<法教義の解釈/経験科学>という対比は、<法曹実務(家)や法学(者)が──あれこれの(法的)事情を斟酌しながら──やっていること・できること/それについて社会学者が──そのテの事情を斟酌せずに──観察できること>という対比だ、と考えればよいのではないでしょうか。

  • Organisationsteil der Verfassung→人権と統治 とかいうことですかねぇ。識者の教えを請う。

第1章

  • res publica は時代によって意味はいろいろだけど。(プラトン『ポリテイア』のラテン訳タイトル*1google:プラトン+キケロ+res+publicaでヒットする文献を参照──文書中で「ポリス的共同体」を検索──のこと。)
    • ただし、ここでルーマンが言おうとしているのは、「国家を、公共的なものを一手に引き受ける統一的=単一的領域[→res publica]だと理解することはできなくなってしまった」というほどのことか、と。
    • 数行後の「[様々な国家機構+政治的行為領域を]社会秩序と等値することはできない」と同じ趣旨か、と。

ちなみに第1章注(11)に出てくる「形式的機構」というのは、「公式組織」の誤訳かと。(この訳者さんたちは──邦訳書から推察するに──Organisationという語を、ほぼ一貫して「機構」と訳しているようです。こういう不可思議な訳語が続出するので、この訳書は不安。)

  • 官僚制論のことでは↓:
    「[note 18]《役割区分は、さしあたっては、「非個人的な」行為態度として、表現的スタイルによって記述されている。例えばマックス・ウェーバーにおいてそうである》とあるが、ウェーバーはどこで言っているか?

この↑「非個人的」というのも(ほぼ)誤訳と見なせるもので──原著にあたってないけど、ほぼ間違いなく──「非-人格的〜インパーソナル」などと訳すべきところではないか、と。(ますます不安な訳書...。)

お。2章注(5) で、いまをときめくw──こないだの「2ちゃんねるにリベラルの花束を」の北田さん講演会でも参照されていた──レオ・シュトラウスの本が参照されているね。


【追記】

うへー、"unpersoenliches"って書いてある>原著。訳の意図がわからん。

ねw。
訳者さんは、<個人的/パーソナル>の区別を、まるで──つまり、たとえば我-々がすごく気にしているようには──気にしていない、ということでしょう。