ここ数日、土曜日の研究会──フーコーとハッキングに学びつつエスノメソドロジーの 自 然 な 拡張を図りましょうという研究会──のオーディオファイルを聞きながら、いくつかの問いを──あるいは区別について──反芻している。
- 作者: イアンハッキング,Ian Hacking,北沢格
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1998/04
- メディア: 単行本
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ひとつはフーコーの〈savoir/connaissance〉。もうひとつはライルの〈活動/達成〉。
双方ともに「記憶(-の科学/-の政治学)」と関わるかたちでハッキングの『魂を書き換える』に登場するものであり、これが今回の研究会における主要テーマだった*。
ハッキングは『魂』のなかで、〈savoir/connaissance〉という区別を チョムスキー的な〈深層/表層〉という区別に重ねたうえで、「記憶の科学」における〈深層の知識/表層の知識〉について語る。この議論の構え自体は穏当とは思えない(言い換えれば要するに、私の気には喰わない)もので、フーコーの解釈としても
疑わしい。
‥‥ということをすべて折り込んだ上で、しかし、「ハッキングのやり方のよいところはどこで、それはどういう点でよいのか」
というのが、研究会のひとつの焦点だった。
ライル(とアンスコム)の使い方についても、これとおおむね似たことが言えて──そして、まさにそこをリンチやシャロックといったEM者たちにツッコまれてい──るのだが(以下もったいないので略
詳しいことは ここには書けないけど、数時間にわたる討議の結果たどりついた暫定的な結論とそこに着くまでの道のつけ方は、私をいささか感動させるものだった。ひとつは、ハッキングの議論が分かりにくくなってしまった──だけでなくおそらくは不十分になものにとどまっている──その理由が、ハッキング自身による「表層の知識」への「介入」の仕方(と立ち回り方)と、そこから還ってくるやり方の詳細に焦点化された、という点。そしてもうひとつには、やや距離のある この二つの区別を──それがまさに直前に指摘した点と関わる事をもって── 一つにつながる議論を構成できた点。
もしもこの議論がただしくて──それは、これからさらに吟味が必要だ──、我々がハッキングの仕事を適切に理解できるならば、おそらく我々は、それを適切に修正することもできるだろう。
‥‥いやーしかし。難しい話だった。
まだまだ勉強せねばならぬことが山ほどあるということは確認できた(哀
ところで「フーコーは『知の考古学』だけすごくヘン」という点ではみんなの意見が──私も含め──一致していた(かな?)のがおかしかった。