『論理学をつくる』第3章「人工言語の意味論」後半。3章長い(涙
■メモ
- 【矛盾からはなんでもいえる】
→真理表において「すべての前提が真であるケース」が存在しない。
→だから、「前提が真で結論が偽」のケースが存在しない。 [p.65] - google:ターンスタイル
- 【意味論的に閉じた言語】
→対象言語としてもメタ言語としても使われている言語- 「その言語でその言語自体について語る」という自己言及が可能
- 意味論的パラドクスが生じ得る
意味論的パラドクスを回避したいなら、「意味論的に閉じた言語」を考察対象から外してしまえばよい
。──というタルスキによるこの提案は、ちとやりすぎだったのではないか、という話↓
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- パラドクスを生むかどうかは、文がどのような状況で使われるかに依存するのであって、文だけを取り出してきて、パラドクスを生まない循環性と生む循環性との区別をつけることは出来ない。うそつきのパラドクスを生じさせる責任は文それじたいにあるのではなく、文とそれが使われる状況による。
- 自己言及を含んでいるような文でもパラドクスの生じないような仕方で使うことは十分に可能だ。しかし、タルスキの言語階層という考え方は こうした文をすべて排除してしまう。
……ということで、現代の論理学ではタルスキ的な言語階層をゆるめて、意味論的に閉じた言語の中でどのようにしてうそつきパラドクスが生じないようにするかの研究に熱中するようになっている。[p.91]
けどこの本で扱われている訳ではありません。