ハイデガーにおける論理学と形而上学2(2/3)

蒼龍先生へのお返事、続きです。

このエントリでは、このあたりについて:

【コメント2】
  • まるでハイデガーが新しい形而上学(新しく創案された「存在論的カテゴリー」)を作り上げるのが目的であったかのような意見にはついていけません
  • 私が言及してもない基礎存在論の話を大事そうにしながらコメントでは基礎作業にすぎないと話をずらす し、

2-2 ハイデガー形而上学期について

まず、2-1 で書いた「まとめ」を再掲します:

  • [P1] ハイデガーは、「形而上学とは論理学のことだ」と言っている
  • [P2] ここにいう「論理学」とは、「カテゴリー論」のことであるが、
  • [P3] 形而上学の カテゴリー論との等値は形而上学の矮小化である。
  • [P4] ハイデガーの「形而上学批判」とは、いかなるカテゴリーをも越えようとするものであるが、
  • [P5] いかなるカテゴリーもなしに済ませられる人はいないし、哲学が言葉による思索である限りいかなるカテゴリーをも避けることなどできない。
  • [P6] ハイデガー形而上学批判は無茶だ。

 このうち──[P5] はさておき──[P2] と [P4] は 私も反論することが出来ます。前エントリで私が取り上げたのは [P4] のほうですが、[P2] のほうも「形而上学期」に関係するので、ちょっとだけ触れておきましょう。
 蒼龍先生が引いているのは、ハイデガーが1936年から1940年にかけておこなった いわゆる「ニーチェ講義 ISBN:442319628X / ISBN:4582761844」でした。

理性を解明し規定することが正当に且つ必然的に《論理学》と呼ばれるかぎり、西洋的な《形而上学》は《論理学》であるとも言える。

 この論点は、ニーチェ講義では、あっさりとした扱いしか受けていませんが、もともとは すぐあとで紹介する、ハイデガー形而上学期に検討されたものであり、そちらではそれなりに詳しく議論されています。

たとえば『形而上学入門』(1935年)ISBN:4423196336 / ISBN:4582760708

これが、ニーチェ講義では あっさりとしか触れられていない理由は、一つには「すでに論じたこと」だったから でしょうし、もうひとつには、この講義自体の目標は──形而上学の諸規定のうちでも、特に──「主体の形而上学」という規定のほうにあったからでしょう。
 で。この主張における「論理学」とは 「カテゴリー論」のことだ、というのが蒼龍先生の解釈だったわけですが。
 これは「おおまか」に言えばまったく間違っているとはいえないにしても、それが

  • 「カテゴリー論だけを指して形而上学であるとして論理学と一緒にしてしまう」とか、
  • 「中世スコラ哲学においても論理学と形而上学はとりあえず分離していたはずなのに」とか、
  • デカルトやカントにおいても数学や論理学はあくまで思索のための道具であり」とか

いった主張と一緒に出てくる限りでは、まったく間違っていると私は思います。それは、「形而上学期」の講義や著作をみれば確認できることです。

なので、私もそれらを紹介しながら [P2] について反論すれば、id:DrMarks に嫌みを言われなくて済んだかもしれないわけですが(くすくす
ちなみに、なんでそうしなかったかというと、[P2] について触れるなら参照すべき本が 段ボールの中に入っていて(、かつ、どの段ボールの中に入っているのかわからなかったので)取り出せなかったから。です♪
まぁ、もとが「エッセイ」なので、こちらも「エッセイ」レベルでコメントしただけですし。[P2] に触れなくてもまだ書くこと(=[P4])あったしね。
ちなみに、大掃除をしたら本は出てきたので、このエントリは本をざっくり一読したあとで書いてます♪


 ごく簡単に紹介しておくと。
ここでハイデガーが論じているのは、形而上学の「理性主義的」な側面──のちにデリダが「ロゴス中心主義」という語で語りだすようになる側面──についてなのです。たとえば『形而上学入門』では、「論理学」について次のような問いがたてられて、

 存在と思考との間の差別が成し遂げられ、しかも特定の仕方と特殊な観点とにおいてそれが成し遂げられた後に初めて、論理学が思考の形式構造の抽出と思考規則の配列として 発生しえたのである。だから論理学そのものおよびそれの歴史は、存在と思考とのこの差別とそれの根源とに関して十分な説明を決して与ええない。それどころか論理学自身が、自分の根源と自分が決定的な思考解釈だと主張する権利とに関して説明することも基礎づけることもできていないのである。学校の科目としての論理学の歴史的由来と、それの個々にわたった展開とについては、ここでは扱わない。反対に、われわれは次の問いを熟考せねばならない。
  1. なぜプラトンの学校において「論理学」というようなものが発生することができたのか。また発生せざるをえなかったのか?
  2. なぜ思考についてのこの教えが、言表という意味での logos についての教えであったのか?
  3. その後引き続き、論理的なものが有力な地位を占め、それがますます上昇していったのは、何に基づいているのか?
ハイデガー(1935)『形而上学入門』(川原訳、平凡社 p.200)

それが、次の5ステップをつかって検討されます:

  1. physis と logos との統一としての存在と思考の根源的統一は、いかにして現成するか?
  2. logos と physis との根源的な相互分離はいかにして生起するか?
  3. いかにして logos が 統一から離脱して登場するようになるのか?
  4. いかにして logos(「論理的なもの」)が思考の本質になるのか?
  5. いかにしてこの logos は 理性および悟性として、ギリシア哲学の元初において存在を支配するに至るのか?
[...] [問われているのは、]歴史的に言えば、この[思考の・存在への]帰属性は 西洋哲学の決定的な元初においてはどうなっているか? 西洋哲学の開始において 思考はいかに理解されているか? という問いである。
ハイデガー(1935)『形而上学入門』(川原訳、平凡社 p.202-3)

で、そこから(邦訳にして)100頁ほどの検討のあとに登場するまとめの部分。一段落分だけ引用すると──:

 言表という形をとると ロゴスそのものが 何か 眼の前に見えているもの となってしまった。眼の前に既にあるvorhandene このもの は だから、[非隠蔽性としてではなく]正当性としての真理を獲得して安定させるために操作するには手ごろで便利なものである。ここからもう一歩進めば、真理獲得のためのこの把手を 道具 organon と解し、この道具を正しい方法で手頃なものにするようになる。このことは、physis が eidos に変わり、logos が kategoria に変わるとともに、存在者の存在の 根源的開示がますます決定的に消滅し、かろうじて正当なものという意味での真なるものが 議論や学説や規則などを介して広まり、平板になればなるほど、ますます必要になる。つまり、そういうことのためにロゴスを道具になるように仕立てなければならない。すなわち論理学の誕生の時がやってきたわけである。

ハイデガー(1935)『形而上学入門』(川原訳、平凡社 p.306)

><

というわけで、「形而上学とは論理学である」テーゼが述べているのは、「形而上学においては、存在が ロゴスによって規定されている」というくらいのことなのでした。
 この議論の詳細をこれ以上紹介しなくとも、これだけで、少なくとも、

  • 問われているのは、「論理学のようなものが 如何にして可能になったのか」である

ことまではわかるでしょう。ハイデガーのとりあえずの答えは「存在がロゴスによって規定されていること」であって

ハイデガーが導いたこの「答え」が「正しい」かどうか、それに賛成できるかどうかは別として、少なくとも、
  • このことが カテゴリーや論理的操作を──したがって、いわゆる「論理学」を──可能にする(のであって、その逆ではない

と言われていることも、もう問いの形式を見ただけでわかるはずです。というわけなので、蒼龍先生の、

  • 中世スコラ哲学においても論理学と形而上学はとりあえず分離していたし、デカルトやカントにおいても数学や論理学はあくまで思索のための道具だったのに
  • カテゴリー論だけを指して形而上学であるとして論理学と一緒にしてしまうハイデガーは、おかしい云々

という論難が──したがって、蒼龍先生の「ハイデガー形而上学批判」批判が──まるで的外れであることも、以上で示せたはずです。


 『形而上学入門』について(=[P2]について)詳しく論じたいわけではないので、話はこのくらいにとどめておきますが、ここで この話を(ちょっとだけでも)紹介したのは、これが、

  • 後の「形而上学の克服」期に登場するたいていのトピックは、すでに「形而上学の解-体」期──『存在と時間』の周辺の時期──に詳しく検討されている

ということの、一つの例になっているからでした。

だから「ハイデガー形而上学批判」について云々したいなら、まずは『存在と時間(ISBN:4423196263)周辺の時期の諸著作や講義を確認してみた方がよい、ということにもなるわけでして、私はけっして、蒼龍先生がコメント欄に書き散らしたような こういう↓大雑把な主張をしたわけではないのです:

deepbluedragon 2008/12/23 17:41

[...] これはハイデガー形而上学批判をマジに受け取ったらの話で、基礎存在論こそがハイデガー哲学の中心みたいな解釈のことは知りません。




さて。
 私は前エントリで、『存在と時間』〜形而上学期においては基礎存在論形而上学批判がペアになっている、と書いたわけですから、「私が言及してもない基礎存在論の話を大事そうにしながらコメントでは基礎作業にすぎないと話をずらすというコメントにはもう泣く(か嗤う)しかありません。このエントリは、あとはただ、

  • まるでハイデガーが新しい形而上学(新しく創案された「存在論的カテゴリー」)を作り上げるのが目的であったかのような意見にはついていけません

というコメントに対してのみ応えて おしまいにしたいと思います。

 私が言えばよいのは、次のことです:

* 「現存在の存在」を問うこと(=基礎存在論)をとおして「存在への問い」へと向かうこと。

これは「定説」に属する主張だと思っていたので──実際、「テクストれば分かるだろ」レベルの話だと思うので──「ついていけません」とか言われちゃってびっくりなのですが、これについては まぁ本棚からいくつかピックアップして引用しておけば「珍しくもない見解」であることまでは示せるでしょう。


まず、「ハイデガー形而上学」の検討に立ち入っていない 著作(『ハイデガーの真理論』):

周知のとおり、ハイデガーは『存在と時間』の直後形而上学に身を寄せて探求を行い、やがて公然と形而上学の批判に転じた[...]。

岡田紀子(1999)『ハイデガーの真理論』(p.54)

こちらは立ち入っている 著作(『思考の臨界―超越論的現象学の徹底』):

 本章で考えて見たいのは、『存在と時間』以後、ハイデガーが「形而上学」という仕方で〈存在の問い〉へとさらに肉薄せんと試みた時期1 の、その「形而上学」ということでいったい何が生じていたのかということと、この形而上学の試みの内で必然的に生じた思考の「転回」の、その後の歩みへの展望を「場(所)」という観点から獲得することである。

1 具体的には、『存在と時間』が刊行された1927年から1936年に執筆が開始される『哲学への寄与──性起について』(GA65 [ ISBN:4423196441 ])の直前までの期間である。
斎藤慶典(2000)『思考の臨界』(p.133)

[1][2] 双方について触れられているもの(『ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)』):

存在と時間』では、この[形而上学という]言葉はハイデガー自身の用語としては一度も使われていないが、 同じ思想圏に属すると見てよい1927年夏学期の講義『論理学の形而上学的基礎』[ ISBN:4423196379 ] や 1929年の著作『形而上学とは何か』[ ISBN:B000JBE86C ]『カントと形而上学の問題』[ ISBN:4423196425 ]などでは、それぞれ表題にも現れ、きわめて重要な役割を果たしている。[...]
 当時認識論中心の新カント派の凋落のあとを受けて一般に謳われていた〈形而上学復権〉とははっきり一線を画してのことであろうが、ハイデガーも〈存在の問い〉を反復するという彼なりの意味での〈形而上学〉の復権を考えていたのだろう。だが、いわゆる〈転回〉のあとは〈形而上学〉に対して否定的になる。

木田元(2000)『ハイデガー『存在と時間』の構築』(p.204)
ライプニッツ講義(論理学の形而上学的基礎)は、たぶん「1928年夏学期」の間違い。


最後。だめおし。
存在と共同―ハイデガー哲学の構造と展開』の、「形而上学期」を主題的に扱った章の最初とその次の章の最初のまとめ:

 ハイデガー1920年代の終わり頃から「形而上学」という名称を自分の「存在の問い」を言い表すものとして積極的に用いるようになる。そのことは、『カントと形而上学の問題』(1929年[ ISBN:4423196425 ])、「形而上学とはなにか」(1929年[ ISBN:B000JBE86C ])、『形而上学の根本諸概念』(1929/30年[ ISBN:4423196271 ])、『形而上学入門』(1935年[ ISBN:4423196336 ])といったこの時期の講義や著作などの題名にも示されている。『存在と時間』においては、ハイデガーは自身の立場をけっして形而上学と呼ぶことはないし、また後年にいたっては よく知られているように「形而上学の克服」を標榜するわけであるから、形而上学の強調によって特徴づけられるこの時期は、彼の思想の過渡的時代(「中期」)と見なされることが多い。
 たしかにこの時期には、『存在と時間』では論じられていない主題の取り扱いが見られ、その限りにおいてあるひとつの時代を画するということも可能である。しかしこれから見ていくように、そうした主題は『存在と時間』の「体系構想」のうちにすでに含まれており、また何よりも「存在の問い」の必然的帰結として理解可能なものである。したがってこの時期は、『存在と時間』と思想的に断絶しているというよりは、むしろその未完部分の主題をそのまま引き継いでいると見たほうがよい。

轟孝夫(2007)『存在と共同』(p.131)

 前章ではハイデガーの「形而上学構想」を概観した。その際すでに指摘したことであるが、ハイデガーがある時期から形而上学の克服について語りだすといっても、そこでは基礎存在論とメタ存在論からなる自分の以前の形而上学構想が否定されているわけではない。それはもともと「存在の問い」(根本的問い)に属するものとして、伝統的存在論の「存在者の問い」(主導的問い)とは区別されていたし、後期の形而上学の克服というとき問題となっているのはこの後者のほうの問いである。また1930年前後のメタ存在論は、そのまま存在の真理の思索に引き継がれており、後年の思索はある意味ではメタ存在論的な問題次元を、いかにそれにふさわしい仕方で語っていくかという試行錯誤の過程とみなしうることは、すでに前章で詳細にあとづけたとおりである。

轟孝夫(2007)『存在と共同』(p.217)

このエントリはここまで。