涜書:ルーマン『社会の科学』

通勤読書往路。
2章「観察」&3章「知識」。

社会の科学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の科学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)


知識の獲得に指向した社会システムの分析の中で、社会学研究に必要な反省的議論を ともにやってしまおう、という企画は掛け値なく素晴らしいものであり、むしろ「社会学方法論争かくあるべし」とすら私は思う。

 とはいえ、その対象は、専門的な科学的実践のシステム に限らなくても構わないはずではあるが。
 というのも、私たちは──職業的・専門的なものであれ、それ以外のものであれ──日々の暮らしの中で、知識を得ようとし・他人の振る舞いを再記述したり定式化したりし・様々なことを予想したり一般化したりしているのであって、社会学的方法論も、そうした諸実践を記述・分析する中で──それらと同じ資格で、同じアプローチでもって──検討されてよいはずだからである。
 それはそれとして/しかしもちろん、専門的な科学的実践のシステム が、特にその草刈り場となっても おかしくはない。


 が。
 にもかかわらず──むしろ「例によって」と言うべきだろうが──議論は なぜか「理論の提示」から開始される。
 なぜシステムの記述ではなく、認識論の提示から議論が始まるのか、これが私には理解できない。

 そしてまた、なぜそれは「構成主義的認識論」なのか。これも理解できない。

それなりに哲学的教養があったであろうはずのルーマンが、なぜ「構成主義的認識論」などというものをスルーしてすませることができず、むしろ嬉々として もろにトラップされてしまったのか。それはほとんど、スキャンダルという形容がふさわしい事のように思われる。



復路。
3章「知識」&4章「真理」。