第I部 今世紀初頭におけるマーケティング管理論の生成基盤第II部 両大戦間期におけるマーケティング管理論の展開基盤
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お買いもの:薄井和夫(1999)『アメリカ・マーケティング史研究:マーケティング管理論の形成基盤』
序章 本書の課題
[4] 本書では、わが国研究の伝統に依拠し、マーケティングを商業や商品流通一般と区別して、その実体を「製造企業による垂直的な市場掌握活動」と規定して研究をすすめる。というのは、戦後のマーケティング論の「輸入」に際して、わが国研究者がわが国の伝統的な商業とは異なるものとして意識したのは、なによりもまず「生産者の市場獲得活動」であり、「商品流通のパターンが、商業資本支配型のそれから、産業資本支配型のそれへ移行する傾向」であったからである。──こうした傾向は<戦前のわが国にまったくみられなかったというわけではないが、その本格的な展開は戦後の事柄に属していた。これに対して、伝統的な商業機構の形成が相対的に脆弱で、国内市場依存型の蓄積構造をもつアメリカにおいては、前世紀末以来このタイプの市場活動が本格的に展開されて、アメリカにおける流通活動のひとつの重要な特徴をあらわすものとなっていたのである。
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[6-7] アメリカマーケティング史における重要なトピック:
- 垂直的市場掌握活動を行なう製造企業の多角化戦略の展開とともにマーケティング政策を、所有経営者の勘や経験に頼るのではなく、企業内分業関係を明確にしたうえで、合理的に決定することが要請されるようになるという事態
- マーケティング管理の科学化に対して手がかりを提供するように思われた生産過程における科学的管理法とその経営管理全般への展開
- 粗野なマーケティングを制限することによってマーケティングの洗練化を促す役割を果たした消費者運動と強力な反独占的世論
- マーケティングとの出会いによって、たんなる美術運動の枠を越えて大量生産・大量販売・大量消費という産業社会の現実と結びつく契機を与えられたアメリカのデザイン運動
- 製造企業による垂直的市場掌握活動の展開によって生じた種々のチャネル問題、製造企業の思惑を越えて展開された各小売業態の自生的展開、排他的チャネルにおける小売商の自立性の強さ、およびこれらの諸要素に規定されたチャネルの法的環境など、アメリカの流通構造の特徴を規定した諸要因
第1章 R.S.バトラーのマーケティング論とその基盤
- [19] 「P&G社とは、1832年当時、フロンティアの町であったシンシナティにろうそく職人W・プロクター(William Procter)と石けん職人J・ギャンブル(James Gamble)が創設した企業である。同社は当初シンシナティ周辺の地方市場に販売を行なっていたが、1879年に、偶然水に浮く石けんを開発し、その量産体制を整備して以後、アイボリー石けん(Ivory Soap)というブランド名で全国市場に販売を開始した)。」
- [27]「P&G社は,企業内研究所を設立した最初の企業のひとつとして知られ、1887年以降アイボリーデールエ場に化学者が雇用されて、アイボリーデール技術センター(Ivorydale Technical Center)が設置されていた。1907年には水素添加(hydrogenating)の特許を持つ化学者がイギリスから招聘され、種々の実験が行なわれて、1909年にショートニング生産のために水素添加工場(hydrogenaton plant)の操業が開始され、1910年に最初の製品が製造され、1911年に新しいタイプのショートニングが市場に導入されたのであった。」
文献
- チャンドラー
- グレン・ポーター&ハロルド・C・リヴセイ(1971→1983)『経営革新と流通支配:生成期マーケティングの研究』 ミネルヴァ書房 ISBN:4623014770
- 小林康助編著(1985)『アメリカ企業管理史』ミネルヴァ書房 ISBN:4623015742