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第2章「国家権力への視座」
エリート理論
- シュンペーター。競争的エリート選択型民主政: 〈生産者|商品|利益〉:〈政党|政策|権力〉アナロジー
(1942→1951)『資本主義・社会主義・民主主義』 - ミルズ。権力関係の三層モデル「頂点・中間水準・大衆社会」
(1956→1958)『パワー・エリート 上 (UP選書 28)』 - ダール。〈経験的事実+反事実的条件命題〉、〈権力資源/争点〉
「行おうとはしないと思われることをBに行わしめる限り、AはBに対して権力を行使していることになる」
(1961→1988)『統治するのはだれか―アメリカの一都市における民主主義と権力』 - ラスウェル&カプラン。〈権力範囲/政策決定〉
『権力と社会―政治研究の枠組』
(1936→1959)『政治―動態分析 (1959年) (岩波現代叢書)』 ISBN:4000012029 岩波書店
- 73 ルークス(1974→1995)『現代権力論批判』
第一の顔
このアプローチは争点の設定と決定過程に分析の焦点を据えるだけに、社会の要求に多面的に対応し、調整しているという「権力」の相貌が浮上することになる。この権カアプローチは行動の起動因に主観的「関心」を措定し、「作用-反作用」という物理学の、あるいは、「刺激-反応」型の生物学の方法に依拠することで政治行動の規則性を導こうとする発想に立っている。すると、「関心」の社会経済的脈絡を問うことなく、多元的利害の対立と調整過程の機能主義的分析にとどまらざるを得ないことになる。この点では、「入カ-出力-フィードバック」型「政治システム」論も行動論アプローチに属すると言える13。というのも、このシステムが実効性を持ち得るのは、「リベラル資本主義」という一元的価値体系を前提とし、この価値体系の枠内において多元的利害の相互調整と不断の均衡化の過程が作動し得るからである。換言すれば、資本主義的経済合理性の枠内において「政治システム」の“入力の出カヘの転換”が機能性を帯び得るからにほかならない。
第二の顔
ルークスが権力論の「第2の顔」としているのは、バクラッツとバラーツの「非決定(non-decision making)」の理論である(「二次元的権力」論)14。これは「一次元的多元主義政治(one-dimensional pluralist politics)」論に「バイアスの動員論」を組み込むことでアジェンダ設定において敵対的価値が排除されてしまうという権力の“顔”を指している。換言すれば、権力の“アンパイア詝(ないし「ゲートキーパー」)は所与の体制の維持という視点から特定の敵対的争点を議題から除外してしまうという「隠然たる選好」の次元である。こうした「バイアスの動員」論は H.カリエルや初期ダールの権力論にもうかがい得ることであって、争点化を事前に阻止するという「決定」はアクターの自主的判断に依拠している。これは特定の争点を「非決定」とすることを「決定」するという過程論の次元を指しているだけに、行動論的権力観を補完する視点を提示していることになる15。
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- ロバート・ダール(1956→1970)『民主主義理論の基礎 (1970年)』未来社
第三の顔
ルークスが権力論の「第3の顔」と呼んでいるのは権力の構造的次元である。この「顔」は第1と第2の「剌激-反応」型の因果論的権力観とは、あるいは、「決定・非決定」型の過程論的権力論とは視点を異にし、権力の「構造性」の次元を指している(「三次元的権力」論)。この分析視座の提起は「権力」と「構造」との連関化の視点の提示という点で重要な一石を投じたことになるが、その論述が「国家権力」と社会経済構造との相関性や「構造」の組成と「主体」の能動的作用との連関論にまで及んでいるわけではない。この問題は「ミリバンド─プーランザス論争」に、あるいは、「構造-主体論争」に顕在化している。