アンリ・ベルクソン(1932→1965)『道徳と宗教の二源泉』

  • 第1章 道徳的責務
    • 社会秩序と自然秩序
    • 社会における個人
    • 個人における社会
    • 自発的な服従
    • 抵抗への抵抗
    • 責務と生命
    • 定言命令
    • 閉じられた社会
    • 英雄の呼び声
    • 情動の推進的な力
    • 情動の創造的な力
    • 情動の表象的な力
    • 魂の解放
    • 前進
    • 閉じられた道徳と開かれた道徳
    • 閉じられたものと開かれたものとの間
    • 自己尊敬
    • 正義
    • 圧力と渇望
    • 道徳における主知主義
    • 道徳における「生命の飛躍」
    • 調練と没入
  • 第2章 静的宗教
    • 理性的存在における不条理
    • 仮構機能
    • 仮構と生命
    • 「生命の飛躍」の意味
    • 仮構の社会的役割
    • 断片的人格
    • 秩序破壊に対する保証
    • 意気消沈に対する保証
    • 有益な仮構の一般的主題
    • 不条理なものの異常発達
    • 予見不可能なことに対する保証
    • 成功への意志
    • 偶然
    • 文明人における原始的心性
    • 魔術一般
    • 魔術の心理学的起原
    • 魔術と科学
    • 魔術と宗教
    • 精霊信仰
    • 類として扱われた動物
    • トーテミズム
    • 神々の信仰
    • 神話的空想
    • 仮構機能と文学
    • どのような意味で神々は存在したか
    • 静的宗教の一般的機能

  • 第3章 動的宗教
    • 宗教という語の二つの意味
    • なぜ宗教という同じ語を使うのか?
  • 第4章 最後の指摘 機械主義と神秘主義
    • 閉じた諸社会と開かれた社会
    • 自然的なものの存続

引用

第二章「静的宗教」

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たとえば、今日の心理学は、知覚や解釈や理解などの一般的能力を設定するが、それが、人に適用されるか事物に適用されるかに従い、また知性が社会環境中に浸されるか否かに従って作用する、異なった機構でないかどうか、吟味することをしない。

  • 2-2 以下では、想像力なる漠然とした語で指示されてきたもののうち、宗教にかかわる部分を「仮構」もしくは「虚構」と呼ぶことにします。
  • 2-5 145 ゴチ 「それゆえ、この第一の見地から考察すれば、宗教は、知性の解体力に対する自然の防御的反作用である。」
  • 2-7 〈神聖/危険〉のアンビバレンスについて

2-7 までが宗教の第一の機能について。2-8から宗教の第二の機能について。

  • 2-8 153 考察の導きの糸
    • 生命の領域は本質的に本能の領域である
    • ある種の進化の線上においては、本能はその場所の一部を知性に譲渡した
    • その結果生命の混乱が生じうる
    • その場合、自然は知性に知性を対立させるよりほかに方策がない
  • 156 この節のまとめ 「この第二の見地から考察すれば、宗教は、知性による、死の不可避性の表象に対する、自然の防御的反作用である。」
  • 2-11 164 検討の手順に関する定式:
    • ある一つの本能的活動を設定する
    • それから知性を出現させ、その結果ある危険な混乱が生ずるかどうかを探究する
    • そうした混乱が生ずる場合には、本能が攪乱者たる知性の内部に生じさせるさまざまの表象によって、平衡がたぶんとりもどされるだろう。
    • すなわち、もしそのような表象が存在するとすれば、それは基本的な宗教観念である。
  • 167 節まとめゴチ 「それらの[宗教的]表象は、最初の発想と望まれた結果との間にある、意外さによって意気を阻喪させるような、余地の──知性による──表象に対する、自然の防御的反作用である」
  • 2-13 174 「世界大戦に参加したある士官が語ってく´れたところでは、もっとも多くの死者を出したのは砲撃であったにもかかわらず、兵士たちは砲弾よりも小銃弾をおそれていた、のがたえず見られたそうである。それは、小銃弾によって狙われていると感じるからであり、だれもが、自分ではそうするつもりではないのに、次のように推論しているからである。すなわち、「死とか重傷とかいった、自分にとってきわめて重大な結果を生むためには、それと同じような重大な原因がなければならず、ある意図がなければならない」と。まさしく砲弾の炸裂で傷つけられたある兵士は、自分の最初にしたことは、「なんと馬鹿な!」と叫ぶことだった、と語っていた。この砲弾の炸裂が──純粋に機械的な原因によって発射され、だれかれなく傷つけ、あるいはだれも傷つけなかったかも知れぬこの砲弾の炸裂が──他人でなく自分を傷つけるに至ったことは、かれの自発的知性からみれば、非論理的であった。」
  • 2-16 182 テーゼ 宗教は、怖れであるよりも、むしろ怖れに対する反作用であり、そして、宗教はただちに神々への信仰ではない。
  • 2-17 節末 「結局のところわれわれは依然として、祖先たちのままなのである。魔術への傾向は、科学によって抑圧されているが、生きのこっており、自分の出番を待っている。科学への注意が一瞬間でもそらされたままになると、魔術はただちにわれわれの文明社会のなかになだれこんでくる。あたかも、覚めていたときに抑圧されていた欲望が、夢のなかで本望を遷しようと、この上なく浅い眠りを利用するようにだ。」
  • 2-18 節末 「宗教が認識にかかわりをもつのは、ある種の知性の危機にそなえるために知的表象が必要なかぎりにおいてだけである。こうした表象を切りはなして考察し、それを表象たるかぎりにおいて批判することは、この表象がそれに相伴う行動と、分かちがたく融合していることを忘れるものであろう。偉大な精神の持主たちが、児戯とさらには不条理のかたまりでさえある、かれらの宗教をどうしてうけ入れえたのか、とわれわれが考えるとき、われわれが犯すのはこの種の誤りである。泳いでいる者の身振りにしたところがそうで、そこに水があること、水が沐ぎ手をささえていること、その人の運動、水の抵抗、河の流れは不可分の全体として一緒に考えられるべきこと、を忘れているような者にとっては、それは愚劣でこっけいなものにみえるだろう。
  • 2-26 248 テーゼ 「静的宗教とは、知性の行使に際して、個人に対しては意気消沈させ、社会に対してはこれを解体させうるようなものに対する、自然の防御的反作用である。」
第三章「動的宗教」
  • 3-1 253 ここまでのまとめ 「われわれ人類の出現によって表わされた創造的飛躍の停止そのものが、人間知性とともに、人間知性の内部に、宗教を下ごしらえする仮構機能を与えたのである。以上が、われわれが静的あるいは自然的と呼んだ宗教の役割と意味である。宗教とは、反省をそなえた存在において、生への結びつきの、ときおり生ずる不足を埋め合わすべきものである。」

文献

第三章「動的宗教」


ついでにこのあたりの新書も読んでおく。