園田・中川・松永(2022)「21世紀の産業・労働社会学の構想へ向けて」

『21世紀の産業・労働社会学』終章 [asin:4779516072]
https://contractio.hateblo.jp/entry/20220507/p0

  • 1 「働くこと」をめぐる視点の複数性と社会学の立場について
  • 2 労働現象の社会学をめぐる拡散状況について
  • 3 人間遡及的視点について
  • 4 論じられていないもの
  • 5 労働研究にたいして

3 人間遡及的視点について

p.276

 ここでいう人間遡及的視点とは、尾高の言葉でいえば「人間共同生活の理法を、それの究極の生きた実態に即してとらえようとする」(尾高1981: 12)視点である。そして人間の共同生活の生きた実態とは、

共同生活の当事者である個々人の社会的行動、すなわち言語による行動をふくむこれら個々人間の相互的または集合的な行動の様式と、それの根底にあってそれを動機づけているかれらの意識、したがってかれらの欲求、信念、見解、価値志向などのあり方のことである。(尾高 1981: 12)

4 論じられていないもの

p. 281 ルーマン法社会学』序論がアレな感じで引き合いに出されていた。

現代社会の諸制度は、様々な専門職・準専門職の集団によって担われている。彼/彼女らがどのように養成され、キャリアを確立し、働いているのかは、労働であると同時にそれぞれの領域固有のロジックが現れてくる社会事象である。たとえば松山(2021)は、ブルデューの社会理論に基づいて、建築家という職業のエートスがいかに日本における建築「界」を構成しているのかを検討している。こうした固有の界や領域ごとの専門職に着目した検討について、かつてルーマンは社会システムそのものの分析からの「逃げ道」と表現したことがある(Luhmann 1972=1977: 3)。しかし様々な領域ごとに専門職のあり方を検討していくこと、そこに産業・労働社会学が連携していくことは、今後ますます重要な課題となるだろう。

この箇所でルーマンが述べているのは次のようなこと:

  • 法社会学は法を研究しなければならないはずなのに、そうなっていない。
  • 社会学者は、法を扱うのが難しいので、かわりに、自分たちが「これならできる」と考えている定食メニュー的な研究作法──専門職研究、職業研究、小集団研究、法に関する世論調査などなど──を法領域でも行おうとする。
  • 結果として得られるのは、法以外のものについて研究したとしても得られるような知識であって、法については何もわからない。(大意)

ここで専門職研究が「逃げ道」だと言われているのは、それが法の解明をしようとすることの〈かわりに〉行われているからなのであって、たとえば専門職研究を通じて法がどういうものかを明らかにしようとする研究なのであれば、ルーマンも文句は言わないだろう。